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キーワード 読書について33-「昔話の森」野村純一 大修館書店 1998年 (2) /「宮本常一著作集43 自然と日本人」 未来社 2003年 ④ 【再掲載 2013.9】 [読書記録 一般]

今回は、6月1日に続いて、キーワード「読書について」の紹介33回目、
野村純一さんの「昔話の森」2回目の紹介です。



出版社の案内には、


「桃太郎の原型である山中の異童子、天竺・震旦・本朝にわたる伝承である鼠
 の嫁入り、本来は幸せを招く行事だった百物語。"はなし"はどのようにして
 生まれ、どう語り継がれてきたのか。昔話の起源を探る。」


とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「高僧の墓中出生『子育て幽霊』」
- 静岡県、京都府はじめ各地にありますね。


・「『聴耳草紙』佐々木喜善」


・「ほととぎすは何と鳴くか
  テッペンカケダカ? おとと喉斬った? おとと腹斬った?」


・「ほととぎすは、死出の山を越えてくる、死者の霊魂を運んでくる鳥?」




もう一つ、再掲載になりますが、
「宮本常一著作集43 自然と日本人」④を載せます。
桃の呪術性、桃太郎の話からもわかりますね。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
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☆キーワード 読書について33-「昔話の森」野村純一 大修館書店 1998年 (2) 

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◇大きな肴の背に乗ってきた男  昔話集と口承世界
唐土から本朝へ海を渡る 
     宇治拾遺物語 巻14-4「魚養事」
名筆 朝野宿禰魚養
英雄・傑出人物の所縁
高僧の墓中出生「子育て幽霊」
わしの食い残し子
鷲の子育て箪

   鮭の大助に乗る男 
     洋上遙か大きな魚の背に乗って己が家郷に無事帰還した男の話
本格新13 鮭の大助(AI554)
一族の始祖を語る 
       食制の禁忌 
       「聴耳草紙」佐々木喜善

   類話を南の島に求めて 
     鱶に助けられた男の話
 


◇ホトトギスと兄弟 鳥になった子供たちへの鎮魂
ほととぎすは何と鳴くか
     寺田寅彦「疑問と空想」
   テッペンカケダカ?
おとと喉斬った  弟恋し
おとと腹斬った
 - 聞き做し

   ほととぎすの物語と鳴き声
五月鳥 五月鳥子,田植え鳥,あやめ鳥,早苗鳥,橘鳥,勧農鳥
  |
死出の山を越えてくる 死者の霊魂を運んでくる
冥土の鳥「霊迎え鳥」

   食べ物を巡る姉妹の争い
かっこう と うぐいす
かっこう と ほととぎす

   非業の死と鎮魂
兄弟姉妹間の食物にまつわる心意葛藤 
       骨肉の争い
 → 身内の幼い者の無慈悲な結末
 問いつめられたあげくついには自ら腹を割いてまでもその潔白を
     訴える死
      = 非業の死
→ 安らぎを得ぬ 未完成霊
     ~ 強く祟る 鎮魂歌







☆「宮本常一著作集43 自然と日本人」 未来社 2003年 ④ 【再掲載 2013.9】 

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◇日本人とモモ

 モモは三月の節句に雛人形を飾るとき、同時に雛壇に飾られるものと思われ
ているが、もともと雛人形を飾ることと、モモの花を神に供えることは別なこ
とだったようである。


 日本では、雛人形を飾らない土地の方が多かった。


 雛人形が鋳られるようになったのは、昭和20年以降で百貨店などの売り出
しの力が強くなってからである。


 新暦3月3日を雛祭りとしているが、このころモモの花が自然に咲いている
ところはほとんどない。


 モモの花を神に供えるのならば、旧暦3月3日(新暦4月3日ごろ)でなけ
ればならない。


 この日にモモの花を供える風景は、モモの植えられている土地ならば、ほぼ
共通して各地に見られる。


 モモには野生化したものもあるが、早くから栽培されていて、西日本の各地
では、モモ畑が多く見られた。


 モモの実が熟するのは旧暦六月ごろであり、6月15日(新暦7月15日ご
ろ)の祇園祭りで、祇園社のあるところでは盛大な祭りが行なわれ、そのとき
モモが売られる風習が瀬戸内海地方に見られる。



◇実,種,仁に呪性

 『古事記』のなかに,伊邪那岐命が雷神に追われて黄泉比良坂を逃げ帰ると
き,坂本にある桃子3個をとって投げつけると、ことごとく雷神が逃げたので、
伊邪那岐命は桃の実に向かって

「汝、吾を助けし如く、葦原中国にあらゆる現し青人草(庶民)の苦しき瀬に
 落ちてうれいなやむとき、助くべし」

といって名を賜いておおかむずみ命と名づけた、とある。


 この話は、桃の呪性を物語るものとして尊ばれているが、モモに呪性がある
と信じられるようになったのは、それ以前からのことであっただろう。


 広島県帝釈峡の縄文時代の発掘品のなかにあったモモの種(核)を見せても
らったことがあるが、種の側面に孔をあけ、なかの仁をくり抜いてあった。


 これは、笛として利用したものと思われる。


 つまり楽器として利用されたもので、笛には呪性があると信じられていたか
ら、その笛に、モモの種が利用されていることは興味深い。


 種ばかりでなく、仁にも呪性があって、それを食べることによって災厄をは
らうことができると考えたのであろう。


 関東地方では、モモの木を見かけることは比較的少なかったが、スモモ(李)
は多かった。


 東京都府中市の大国魂神社では、7月20日に李子祭りを行なっている。


 もとは、旧暦6月の祭りであった。この祭りには、粟飯と李子を供えること
になっているが、李子は悪鬼をはらうといわれ、参拝者たちは境内の店で売ら
れる李子を争って買って帰る。


 神社ではこの時、カラスを描いたカラスうちわを売るが、このうちわで作物
をあおぐと、病虫害を防ぐと信じられ、また入り口に掲げておくと家に病気が
入らないと信じられている。


 西日本の紙園祭りのモモに対応するものであることがわかる。


 このように、モモは花だけが観賞されるのではなく、実もまた呪性が尊ばれ
た。


 花を神に供えたのも呪性があると信じられたからである。


 瀬戸内海の塩飽諸島から京都府付近にかけて、家々の入り口に花瓶がつり下
げられ、そこに花が生けてあるのを見かける。


 家によっては、これを天道花とよび、また日輪花とも、立花ともよんでいる。


 生けてある花は、季節によって異なる。


 そして塩飽諸島(瀬戸内海=ハマコウ註)では、旧暦3月3日にモモの花を立
てるのがならわしであった。


 日本では、季節の花を神仏に供える風習が土地によって見られた。


 正月のマツもそうしたものであろう。


 2月のウメ、3月のモモ、4月のツツジ、5月のウツギ(卯の花)、7月の
ミソハギ、8月のハギ、ススキ、9月のキクなどがそれである。


 このような花を供える風習は、平安のころからだんだん盛んになっていっ
たのではないかと思う。


 とくにモモについては、そのように考えられる。


 モモのことは、『古事記』に神話がひとつ見られるだけで『風土記』には見
られない。


 『万葉集』にも、モモに関する歌は三首しか見られない。


 奈良時代までは、それほど人びとに関心を寄せられていたとは思えないの
である。


 そのモモに民衆の関心が寄せられるようになるのは、中国文化の影響を受
けて、中国の行事が日本の宮廷などにも入ったことにあるかと思う。


 とくに「武陵桃源」の伝説は、日本に影響することが大きかったようであ
る。


 この伝説では、西晋武帝のとき(3世紀後半)、山民が建山自然武陵という
ところへ行ってモモの花が流れている水を飲んだところ、気力が盛んになっ
て300歳の年齢を保つことができたという。


 武陵桃源というのは、日本でも文字を読むことができるものにとっては一
種の理想郷とされたので、3月の節句に桃酒を飲むのも、こうした伝説にも
とづくものであろう。


 そして宮中では、上巳の祝い(3月の節句)にモモの花を浮かべた酒を飲
んだというが、それが民間に広く浸透していったものかと思う。

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