「大人のための修学旅行 奈良の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ⑦ /「学校の役割は終わったのか」NHK出版 2001年 ⑦ 【再掲載 2013.2】 [読書記録 一般]
今回は、6月6日に続いて武光誠さんの
「大人のための修学旅行 奈良の歴史」の紹介 7回目です。
出版社の紹介には
「学生時代に奈良を訪れたが、日本史の流れをしっかりふまえて旅することが
できたら……大和朝廷から天平文化まで、この国の成り立ちが名所旧跡を通
して理解できる『読む修学旅行』の本。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「644年、蘇我蝦夷、入鹿父子は甘橿丘に厳重な防備をほどこした屋敷を
築いたと伝えられる」
・「蘇我氏は万一の時は甘橿丘にこもろうと考えたのではないか」
・「蘇我氏が開いた小規模寺院の川原寺は天智朝の頃大がかりな寺院に造り替
えられた天武天皇の時代には飛鳥寺、大宮大寺とともに飛鳥三大寺とされ
ていた。しかし、中世以降荒廃し、今は弘福寺(ぐふくじ)と呼ばれる小寺院となって
いる」
・「飛鳥川の水をひいた様々な施設が設けられ、時間という観念の成立した」
もう一つ、再掲載になりますが、NHK出版の
「学校の役割は終わったのか」⑦を載せます。
この20年間に子どもは大きく変わりましたが、
学校の施設、システムはどれほど変わったのかと考えました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「大人のための修学旅行 奈良の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ⑦
◇大化の改新がもたらした白鳳文化の幕開け(2)
□飛鳥を望む丘の上から見えるもの [甘橿丘(あまかしのおか)]
甘橿丘からの眺望を楽しむ
蘇我蝦夷、入鹿の館があった地
644年
蘇我蝦夷、入鹿父子は甘橿丘に厳重な防備をほどこした屋敷を
築いたと伝えられる
東漢氏が防備に当たったとされる
645年 6月
蘇我入鹿
中大兄皇子に板蓋宮に誘い出されて暗殺された
蘇我蝦夷
甘橿丘で戦いの準備を進めていたが、まもなく蝦夷は蘇我
同族の巨勢徳太古、高向国押らがすでに敵方に付いたことを
知り、屋敷に火をつけ自死した
館はなぜ再建されなかったのか
蘇我氏滅亡後王家は甘橿丘に建物を建てず、そこを自然の丘のま
まにしておいた
舒明天皇
- 豪族と話し合わず大王の判断で大事を行うようになった
蘇我氏 万一の時は甘橿丘にこもろうと考えたのではないか
川原寺跡
蘇我氏が開いた小規模寺院
天智朝の頃大がかりな寺院に造り替えられた
→ 天武天皇の時代、飛鳥寺、大宮大寺とともに飛鳥三大寺
中世以降荒廃
今は弘福寺(ぐふくじ)と呼ばれる小寺院
□時間という観念の成立 [石上遺跡・水落遺跡]
歴史を見つめるケヤキの木
飛鳥川の水をひいた様々な施設
発掘された最古の水時計
1981年発掘 - 漏刻
時計による生活の変化
660年5月 中大兄皇子
漏刻 → 鐘の音で時刻
8世紀初 「大宝律令」
陰陽寮に漏刻博士を二人おく 守辰丁20人
→ 日本を中国風に
石上遺跡の須弥山石
1902年発掘
☆「学校の役割は終わったのか」NHK出版 2001年 ⑦ 【再掲載 2013.2】
◇学社融合の試み住民をつくる新しい学校
□新潟市の未練
人口1万3千人 聖籠町
2001年
二つの中学校が統合して新・聖籠中学校
□地域住民を建設委員に
総工費 58億円のモダンな校舎
従来の教室がない
ホームベースを拠点にして教科で移動
= 教科センター方式
地域交流棟
一般開放
手島勇平教育長
建設推進委員 20人中17人を一般住民で構成
福島県三春町の中学校5校中4校が「教科センター方式」
校内暴力から落ち着きを取り戻した
□子供のための空間づくり
5つの基本方式
①教科センター方式
②生涯学習機能
ホームベース担任
2001.4~
1学年6グループ
各グループにホームベースと鍵付きロッカー
壁も机もない
ベンチとパソコン1台 ~ 時間割チェック
担任は朝・帰りに一回ずつ
3年A・2年A・1年Aという並び
□社会教育の発想・地域に開かれた学校
28歳で公民館主事
→ 社会教育活動
1993年
43歳で教育長に就任
教育長
生涯学習、社会教育、幼児教育、学校教育、文化、スポーツ
◎学校教育と社会教育の融合
地域交流ゾーン
専用駐車場
ホームベースはカフェテリアの隣
聖籠町
20年間青少年非行の発生率は?
→ 地域の大人が変わらないと!
◎<ずっと住んでいるから>
□スタートした新しい学校 2001年6月
挨拶が良くなった
地域全体が一つに亀代地区と聖籠地区
□それでも「開かれた学校」を
教職員
- 顔写真入り名札 顔の見える教育長に!
□「学社融合」の広がり
千葉県習志野市立秋津中学校
1980(昭和55)年4月 開校
1990~
生涯学習の研究指定
オペレッタ → サークル増
余裕教室をサークルに(4ルーム)
「秋津コミュニティ」の発足
1991年
秋津地域生涯学習連絡協議会が母体
□住民意識が可能にした「地域の学校」づくり
「少子化時代の大家族 地域みんなで育てる秋津っ子」テーマ
◎学社融合の基本 = 互いにメリット
↓ クラブ活動に多くの地域の人
学校負担の軽減と生涯学習振興
◎学校最大の役割
「集団の中での生きる力をつけること」
自分以外の人間と関わる力
3ステップ
開ける
→ 意見を言える
→ 挑戦すること
◎学校評議員制度 校長推薦
秋津「できる人ができるときに無理なく楽しく」
= 郷土心
「大人のための修学旅行 奈良の歴史」の紹介 7回目です。
出版社の紹介には
「学生時代に奈良を訪れたが、日本史の流れをしっかりふまえて旅することが
できたら……大和朝廷から天平文化まで、この国の成り立ちが名所旧跡を通
して理解できる『読む修学旅行』の本。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「644年、蘇我蝦夷、入鹿父子は甘橿丘に厳重な防備をほどこした屋敷を
築いたと伝えられる」
・「蘇我氏は万一の時は甘橿丘にこもろうと考えたのではないか」
・「蘇我氏が開いた小規模寺院の川原寺は天智朝の頃大がかりな寺院に造り替
えられた天武天皇の時代には飛鳥寺、大宮大寺とともに飛鳥三大寺とされ
ていた。しかし、中世以降荒廃し、今は弘福寺(ぐふくじ)と呼ばれる小寺院となって
いる」
・「飛鳥川の水をひいた様々な施設が設けられ、時間という観念の成立した」
もう一つ、再掲載になりますが、NHK出版の
「学校の役割は終わったのか」⑦を載せます。
この20年間に子どもは大きく変わりましたが、
学校の施設、システムはどれほど変わったのかと考えました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「大人のための修学旅行 奈良の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ⑦
◇大化の改新がもたらした白鳳文化の幕開け(2)
□飛鳥を望む丘の上から見えるもの [甘橿丘(あまかしのおか)]
甘橿丘からの眺望を楽しむ
蘇我蝦夷、入鹿の館があった地
644年
蘇我蝦夷、入鹿父子は甘橿丘に厳重な防備をほどこした屋敷を
築いたと伝えられる
東漢氏が防備に当たったとされる
645年 6月
蘇我入鹿
中大兄皇子に板蓋宮に誘い出されて暗殺された
蘇我蝦夷
甘橿丘で戦いの準備を進めていたが、まもなく蝦夷は蘇我
同族の巨勢徳太古、高向国押らがすでに敵方に付いたことを
知り、屋敷に火をつけ自死した
館はなぜ再建されなかったのか
蘇我氏滅亡後王家は甘橿丘に建物を建てず、そこを自然の丘のま
まにしておいた
舒明天皇
- 豪族と話し合わず大王の判断で大事を行うようになった
蘇我氏 万一の時は甘橿丘にこもろうと考えたのではないか
川原寺跡
蘇我氏が開いた小規模寺院
天智朝の頃大がかりな寺院に造り替えられた
→ 天武天皇の時代、飛鳥寺、大宮大寺とともに飛鳥三大寺
中世以降荒廃
今は弘福寺(ぐふくじ)と呼ばれる小寺院
□時間という観念の成立 [石上遺跡・水落遺跡]
歴史を見つめるケヤキの木
飛鳥川の水をひいた様々な施設
発掘された最古の水時計
1981年発掘 - 漏刻
時計による生活の変化
660年5月 中大兄皇子
漏刻 → 鐘の音で時刻
8世紀初 「大宝律令」
陰陽寮に漏刻博士を二人おく 守辰丁20人
→ 日本を中国風に
石上遺跡の須弥山石
1902年発掘
☆「学校の役割は終わったのか」NHK出版 2001年 ⑦ 【再掲載 2013.2】
◇学社融合の試み住民をつくる新しい学校
□新潟市の未練
人口1万3千人 聖籠町
2001年
二つの中学校が統合して新・聖籠中学校
□地域住民を建設委員に
総工費 58億円のモダンな校舎
従来の教室がない
ホームベースを拠点にして教科で移動
= 教科センター方式
地域交流棟
一般開放
手島勇平教育長
建設推進委員 20人中17人を一般住民で構成
福島県三春町の中学校5校中4校が「教科センター方式」
校内暴力から落ち着きを取り戻した
□子供のための空間づくり
5つの基本方式
①教科センター方式
②生涯学習機能
ホームベース担任
2001.4~
1学年6グループ
各グループにホームベースと鍵付きロッカー
壁も机もない
ベンチとパソコン1台 ~ 時間割チェック
担任は朝・帰りに一回ずつ
3年A・2年A・1年Aという並び
□社会教育の発想・地域に開かれた学校
28歳で公民館主事
→ 社会教育活動
1993年
43歳で教育長に就任
教育長
生涯学習、社会教育、幼児教育、学校教育、文化、スポーツ
◎学校教育と社会教育の融合
地域交流ゾーン
専用駐車場
ホームベースはカフェテリアの隣
聖籠町
20年間青少年非行の発生率は?
→ 地域の大人が変わらないと!
◎<ずっと住んでいるから>
□スタートした新しい学校 2001年6月
挨拶が良くなった
地域全体が一つに亀代地区と聖籠地区
□それでも「開かれた学校」を
教職員
- 顔写真入り名札 顔の見える教育長に!
□「学社融合」の広がり
千葉県習志野市立秋津中学校
1980(昭和55)年4月 開校
1990~
生涯学習の研究指定
オペレッタ → サークル増
余裕教室をサークルに(4ルーム)
「秋津コミュニティ」の発足
1991年
秋津地域生涯学習連絡協議会が母体
□住民意識が可能にした「地域の学校」づくり
「少子化時代の大家族 地域みんなで育てる秋津っ子」テーマ
◎学社融合の基本 = 互いにメリット
↓ クラブ活動に多くの地域の人
学校負担の軽減と生涯学習振興
◎学校最大の役割
「集団の中での生きる力をつけること」
自分以外の人間と関わる力
3ステップ
開ける
→ 意見を言える
→ 挑戦すること
◎学校評議員制度 校長推薦
秋津「できる人ができるときに無理なく楽しく」
= 郷土心