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「発達障害サポートマニュアル」榊原洋一 上原芳枝 PHP 2011年 ② /「古代日本の発掘発見物語」玉利勲 国土社 1985年 ③ 【再掲載 2012.1】 [読書記録 教育]

今回は、6月10日に続いて、榊原洋一さん、上原芳枝さんの
「発達障害サポートマニュアル」2回目の紹介です。



出版社の紹介には


「意外なことですが、『しかる・ほめる・慣れさせる』という方法では、発達
 障害の子どもの場合、効果は期待できないのです。では、親も子も先生も楽
 になるような、気になる子の育て方とは。発達障害をかかえる子どもに対し
 て、実際にどのように対処するのが最善なのか。具体的な例とともに、いま
 すぐできる接し方を詳細に解説
 内容例【幼稚園・保育園】朝、園に入るのを嫌がる/いちばん前に並びたが
 る/人のものを取ってしまう/ものを壊す/お片付けができない/視線が宙
 に浮く……【学校生活】文字が読めない/計算ができない/音楽の授業が苦
 手/離籍や飛び出しをする/全体に向けての話を聞けない/体に触れられる
 と怒る……【家庭生活】お出かけすると問題が起こる一方的に興味があるこ
 とを話す/こだわりが強い/衣服への固執、無頓着/時間を守れない/宿題
 ができない…… 幼稚園・保育園・小学校の教育関係者、医療従事者、家族
 の方々必携の一冊。」

 
とあります。


本日紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「問題行動を繰り返させるのは『練習』をさせていることと同じ
  注意、叱責はトレーニングとなってしまう」


・「『叱る・褒める・慣れさせる』という方法では効果が期待できない」


・「それほど苦労させなくてもクリアできる課題提供の『時期』、次に『方法』、
タイミングと方法(質)の戦略が必要となる」


・「第一段階は『地雷除去作業』。『繰り返し言って聞かせる』より、まず『問
題を起こさせない』ことが大切」




もう一つ、再掲載になりますが、玉利勲さんの
「古代日本の発掘発見物語」③を載せます。
日本の考古学が始まった頃の様子を知ることができます。
-発掘は破壊である
だからこそ発掘に対する姿勢が大切になるのだと感じました。
子どもの本と国土社。国土社の本が好きです。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。








☆「発達障害サポートマニュアル」榊原洋一 上原芳枝 PHP 2011年 ②

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◇ちょっと気になる子どもたち(2)

□発達障害の子と接するときのポイント
  骨折り損のくたびれもうけにならないために


  皆と同じようにできないのは脳機能の発達の偏りが原因


  問題行動を繰り返させるのは「練習」をさせていることと同じ
    × 注意 叱責 トレーニング      

◎ 本人のよんどころない事情に歩み寄った対応で不適切な言動を身
     に付けさせないことが大切


  「叱る・褒める・慣れさせる」という方法では効果が期待できない
時期尚早と思うことも大切


  子どもに力が付くまで無理な努力をさせない
    ◎ それほど苦労させなくてもクリアできる課題提供の「時期」、次
     に「方法」
      = タイミングと方法(質)の戦略     


  脳機能の特性という視点から必要な対応を導き出す
◎ 大切なのはその子にあった対応



□その子の事情にあったサポートを考える
どの子にも合う支援の仕方はない
画一的では×


仕上げていく子育てを
第一段階は「地雷除去作業」を!
     ×「繰り返し言って聞かせる」
     → ◎問題を起こさせない 


  苗床で十分な成長を
→ 苗床の地雷撤去作業


  第二段階では「作戦会議」を
自分の特性を知り自分が自分にどう対応すべきかという作戦を立てる

田んぼに植える時期
本人が信頼できる支援者が必要
    ◎ 日常的に起こることを題材に!   


作戦会議はこのように進める
①本人に特性を自己認識させる
②自分に降りかかる不利を認識させる
③具体的にどうするか、子どもの状態にあったハードルを設定する
④本人にで競うかどうかを確認し、難しいようならハードルを下げる
⑤協力することを伝え、自らの苦手に対応するモチベーションを上げ
     る


苦手にひるまないこころを育てる


  「地雷撤去作業」から「作戦会議」へ移行するのに適切な時期は?
  地雷撤去  
       必要以上の無理や努力を極力避けて育てる段階
 作戦会議  
       自分で自分の苦手に冷静に向き合い、できるだけ不利を被らな
      い方法を身に付ける段階へと移行しながら子どもの意識を育む
◎ 時期も個人差が大


  ※ 暗黙のルールが分からない子には「辞書になる」の姿勢でサポートを!
感情をまじえずに!



□早期トレーニングではなく早期理解を
トレーニングを受けた子と受けない子の差
    当たり前のことを教えればよい  
  トレーニングより、刺激・時間を緩やかにして緩やかにハードルを
    上げ乗り越えさせる
◎ 早期発見早期トレーニング









☆「古代日本の発掘発見物語」玉利勲 国土社 1985年 ③ 【再掲載 2012.1】

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◇二つの土器の名付け親 - 縄文式土器と弥生式土器

□モースとコード・マーク・ポタリー
  モース
    「コード・マーク」
    「コード・マーク・ポタリー」
紐の印の付いた焼き物
矢田部 訳 「索紋土器」

   昭和14(1939)
    縄文式土器が一般的に


□縄目の文様の謎
昭和6(1931)山内清男博士(やまのうち すがお 東北大医学部)
   「紐を使ってつくられた」


□弥生式土器第一号
明治17(1884)3月2日 
    弥生町の貝塚を訪れる

 坪井(人類学)・白井(植物学)・有坂(造船学)
 → 向ケ岡貝塚
   - 弥生式土器 
       蒔田 
       明治29(1896) → 一般化は大正2(1913)以降



◇向ケ丘貝塚の行方
□開発により大正末には分からなくなった
昭和49(1974)6年生三人が東大で土器破片を拾う
→ 東大 考古・人類学共同調査
理工学部建設現場 旧向ケ岡弥生町3-1

  昭和50(1975)春夏二回の発掘調査
佐藤達夫教授 向ケ岡貝塚と断定
国史跡となったが「弥生二丁目遺跡」



◇発掘は破壊である - 日本考古学の父・浜田青陵
□日本最初の考古学講座
浜田耕作 
    明治14(1881)2月南河内郡古市村生
東大 西洋史学 → 院 日本美術と外国美術
明治42(1909)京都帝大 文学部講師
大正2(1913) 京都帝大助教授 
     → 考古学研究のためヨーロッパ留学
2年間イギリス ロンドン大 ペトリー・セイスから
フランス・ローマ・ギリシア
大正5(1916)9月   考古学講座
大正6(1917)     京都帝大教授に(36歳)
大正7(1918)     文学博士学位 文学部長
昭和12(1937)6月   京都帝大総長に
昭和13(1938)7月25日 過労のための死去


□画期的な「京都考古学報告」
 「京都帝国大学文学部考古学研究報告」全16冊
大正6~昭和18年
ペトリー教授の言葉から
    「発掘調査をしながらその研究報告を出さないのは一種の罪悪であり、
     それならむしろしない方がいい」
日本
   ・報告しないのが実情
・遺跡全体の研究より珍しい遺物を尊重


□浜田博士と装飾古墳
装飾古墳
    現在まで凡そ300
福岡県熊本中心、九州の一部と茨城、福島、宮城


□名著「博物館」の出版
 「博物館」昭和4(1929)年9月 アルス社「日本児童文庫」シリーズ
井寺古墳の石室内模様が表紙 挿絵も自ら
 
  昭和16(1941)年 
     書名変更 
     → 「考古学研究」ベストセラー
   現在「考古学入門」(講談社学術文庫)小林行雄解説

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