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「大人のための修学旅行 奈良の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ⑧ /「司馬遼太郎が語る雑誌言論100年」中央公論社 1998年 ③【再掲載 2013.7】 [読書記録 一般]

今回は、6月9日に続いて武光誠さんの
「大人のための修学旅行 奈良の歴史」の紹介 8回目です。


出版社の紹介には

「学生時代に奈良を訪れたが、日本史の流れをしっかりふまえて旅することが
 できたら……大和朝廷から天平文化まで、この国の成り立ちが名所旧跡を通
 して理解できる『読む修学旅行』の本。」
 
とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「飛鳥寺の規模は法隆寺の3倍。回廊内部は19000㎡。氏寺であり朝廷の
寺院」


・「蘇我石川麻呂は自邸を転用する形で山田寺造営した。それを中大兄皇子は
面白くなかった。皇子は謀反の疑いをかけ石川麻呂討伐軍。それにより
  石川麻呂は山田寺金堂前で自死した」


・「石舞台古墳は626年没の蘇我馬子の墓と比定。大きな古墳より、質のよい
古墳を造ることを重んじた。石舞台古墳は蘇我氏最後の記念碑ともいえる」



もう一つ、再掲載になりますが、
「司馬遼太郎が語る雑誌言論100年」③を載せます。
-「勉強しない議員は名誉の盗賊」
うまい表現だと思います。



<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。



☆「大人のための修学旅行 奈良の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ⑧

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◇大化の改新がもたらした白鳳文化の幕開け(3)

□蘇我馬子の巨大寺院の変転 [飛鳥寺]
国家事業として建立された法興寺
向原寺(豊浦寺)茅葺きか 
       蘇我氏の私的寺院
588年 馬子 法興寺建立
       → 609年完成 釈迦三尊像安置
    
   規模は法隆寺の三倍 
回廊内部 19000㎡
氏寺であり朝廷の寺院
推古期 
       百済の高僧・観勒が渡来し法興寺に居住
→ 僧正に

   止利仏師の技術を伝える大仏
     ◎ 法興寺→元興寺 奈良に移動
 飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)
       もとは王家の飛鳥支配の拠点

 
□蘇我氏衰退の歴史 [山田寺跡]
石川麻呂のねらい
山田寺造営
      - 蘇我石川麻呂
入鹿の大臣(おおきみ)官職を2つに分けた 
         右大臣に
しかし、左大臣・阿倍内麻呂の下になったことに不満

   自邸を転用する形で山田寺造営
  寺院の建立が招いた悲劇
中大兄皇子 
       石川麻呂の造営が面白くなかった

謀反の疑いをかけ石川麻呂討伐軍

石川麻呂 山田寺金堂前で自死

   特殊な伽藍配置の理由
中止されたが、後、持統天皇により進められた
石川麻呂の娘と天智天皇の娘が持統天皇
栄えたが、鎌倉時代に衰退
蘇我氏 
       石川麻呂の弟 
        - 蘇我連子の系統のみとなる
    
   酒船石

 
□歴史的暗殺事件の舞台 [飛鳥板蓋宮跡]
中大兄皇子の母・皇極天皇の王宮
夫の舒明天皇のあとをうけて中大兄皇子が成長するまで
茅葺き → 板葺

   発掘された板蓋宮の全貌

   蘇我入鹿暗殺の状況
蝦夷が山背大兄主を退けて舒明天皇を王位につけた

舒明、宝皇女(皇極)、皇子たちは蘇我氏の手の中

舒明が大王になった後、舒明系の王族が力を付けていき、やがて蘇
    我氏を滅ぼす


□あまりにも巨大な石室 [石舞台古墳]
巨石でできた古墳
     全体で約2300トンの石材

   石舞台の盛り土はなぜなくなったのか?
何ものかが家屋の壁土に用いるために土を持ち去った?

   いったいだれの墓なのか?
626年没 蘇我馬子の墓と比定
  大きな古墳より、質のよい古墳を造ることを重んじた

◎ 石舞台古墳は蘇我氏最後の記念碑






☆「司馬遼太郎が語る雑誌言論100年」中央公論社 1998年 ③【再掲載 2013.7】

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◇「学問のすすめ」福沢諭吉
  ◎ 人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ,学問を努めて物事
   をよく知る者は貴人となり富人となり,無学なる者は貧人となり下人と
   なる。

  実学重視
   -  学問をするには分限を知ること肝要なり

      自由自在なる者なれども,ただ自由自在とのみ唱えて分限を知ら
     ざれば我儘放蕩に陥ること多し。

  分限
   … 天の道理に基づき,人の情けに従い他人のさまたげをなさずして,
    わが一身の自由を達することなり。自由と我が儘との境は,他人の妨
    げをなすと成さざるものの間にり。愚民の上にからき政府有りとはこ
    のことなり。
良民の上には良き政府在るの理なり

◎ この人民在りてこの政府在り
   |
     ただその大切なる目当ては,この人情に基づきて,まず一身の行い
    を正しくし,厚く学に志し,博くことを知り,銘々の身分に相応すべ
    きほどの智徳を備えて,政府はその政を施すに易く庶民はその支配を
    受けて苦しみきよう互いにそのことを心得て、ともに全国の大半をゆ
    ずらんとする一事のみ


◇自由交易論 田口卯吉
  「保護を要する職業は不利益の職業なり」

◎ 自由貿易をしよう 
       一身の利より一村の利


◇人民の国家に対する精神を論する 植木枝盛
 植木枝盛 
    1857~1892 土佐藩 自由民権論者
徹底したブルジョア民主主義
第一段の精神 
     君に服従
第二段の精神 
     国に服従
  第三段の精神 
     己れ人民
 

◇ああ国民之友生まれたり 徳富蘇峰
 徳富蘇峰 
    1863~1957 熊本洋学校-同志社
明治20 民友社「国民之友」
23    「国民新聞」
大正期  皇室至上主義
 ◎ 明治大正昭和を生きた言論人


◇三千の奴隷をいかにすべきか 三宅雪嶺
 三宅雪嶺 
    1860~1945 金沢生
政教社 雑誌「日本人」国粋主義
高島炭坑の残酷な労働条件を暴いてのキャンペーン
  「奴隷禁止の我が国において,同邦人同種族を奴隷とする者あるは,そ
    もそも何事の怪事ぞや」
 

◇衆議院議員の一大義務 中江兆民
 中江兆民 
    1847~1901 土佐 フランス留学
明治14~ 
    西園寺公望と「東洋自由新聞」
自由民権運動左派 理論的指導者

◎ 勉強しない議員は名誉の盗賊
     - 国会が名誉の競争場より恥辱の陳列場
  ◎ 衆議院議員の一大義務
     = 憲法について意見を陳述すること

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