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「山口瞳対談集1」山口瞳 論創社 2009年 /「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ④【再掲載 2015.2】 [読書記録 一般]

今回は、山口瞳さんの
「山口瞳対談集1」を紹介します。



出版社の紹介には


「礼儀、東京、酒、女、文学、野球、将棋、競馬…珠玉の対談13編。」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「二日酔い対策の1つ目は『飲む前に盛り蕎麦を一杯食べてから』、
2つ目は『飲みながら右の肝臓のあたりを押さえながら飲むこと』」


・「京都の『よそのお人』は田舎者を意味するのか」


・「学問は田舎者に限る」



もう一つ、再掲載になりますが、
「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜名湖周辺」4を載せます。




☆「山口瞳対談集1」山口瞳 論創社 2009年

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◇我ら頑固者にあらず 池波正太郎 1923~1990
二日酔い対策 
    ① 飲む前に盛り蕎麦を一杯食べてから
    ② 飲みながら右の肝臓のあたりを押さえながら飲む
  威張る奴、勿体をつける奴は嫌い
  下町のしつけと助け合い


◇スポーツ気分で旅に出ようか
  沢木耕太郎 1947~ 
    ノンフィクションライターの密かな教科書「世相講談」


◇東京、大阪  
司馬遼太郎 1923~19961
  山口は「定義メーカー」「命がけの評論家」
迷路の町東京
誇り高き京都共和国                                                                                                                京都「よそのお人」
    = 田舎者
江戸文化と田舎者
    「学問は田舎者に限る」
商売に不向きな大阪人 
    大阪人はけちくさい
  ユーモアの違い
    … 東京人は野暮を心がける 大阪人は通ぶる
  大阪人の笑い 
「東京は田舎なり」
    東京は素材がまずい
  許せぬ日光東照宮
滅び行く頑固者


◇チームプレーにもジャイアンツ新戦法を
長嶋茂雄 1931~
カンの長嶋も戦法のうち 
    「山を張るようなバッティングは三流、四流」
スター選手の実像と虚像 
    「ピッチャーはノーマルな奴は大成しない」
優等生ではつとまらない世界


◇たいこもち
吉行淳之介 1924~1994
野太鼓と野旦那 
    人間すべて同い年


◇教室では学生の顔が見られません
高橋義孝 1913~1995
季節感の喪失 
    内田文学のおもしろさ


◇偏見大論争 
野坂昭如 1930~
完全主義者の整理整頓
   「一番よいもの」フジヤムラマツ、サンモトヤマ


◇再びトリスを飲んでハワイに行こう
  佐治敬三 1919~1999
酒場学校

<以下略>







☆「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ④【再掲載 2015.2】


<古墳時代-2>
◇かまどをもつ家
竪穴式住居   
    隅丸方形 
      → 正方形 5世紀末
 真中の炉 
      → 北側壁のカマド

  5世紀 カマドの出現 須恵器の登場
    土師器も盛る器も
    4世紀代までは台付甕 
      → 平底
      →6世紀代カマド普及
    カマド 須恵器  
      煮炊きは土師器 → 丸底に
    坏類や高坏類が増加
      一緒盛
       → 銘々盛(個人個人に出す)
         一人の人間の存在

  5世紀集落   
    伊場遺跡のみ
6~7世紀集落 
    都田・沢上Ⅱ遺跡  
      方形竪穴住居址 15軒分
村2~3世帯 1~2世紀代
      4本柱、北側カマド、壁溝-排水溝、カマド東横に貯蔵穴
      米倉(?)としての掘立柱建物跡


◇横穴式石室の登場
  ~中期 有力首長 竪穴式石室 粘土廓
      下位の者 木棺直葬<個人のため>
         ↓ 
  横穴式石室 <家族墓>
    遺体処理施設としての機能重視
    4世紀末 九州 
     → 5世紀後半畿内 6世紀初首長墓に
     → 遠江にも6世紀前半 
         興覚寺後古墳・甑塚古墳
  興覚寺後古墳(浜松市浜北区)
    35m 前方後円墳 6世紀前半 片袖式-畿内型
    大和朝廷直轄地の屯倉
    天竜川平野の要を支配していた被葬者     
追葬可能
   = 家族墓としての機能重視
6世紀初め 
    横穴式石室が首長層に
6世紀前半 
    興覚寺後古墳 磐田平甑塚古墳


◇群集墳と古代家族
6世紀 
    各地で群集墳 
    横穴式石室 10m程 何十基も 
    西遠江
    6世紀後半~7世紀前半 三方原台地東縁辺部・根本山周辺
  三方原台地東縁 
    南北方向直線状 
      台地面と段丘面
    浜北市境 ~ 浜松城
      8㎞に約400基
    浜松医大周辺に密集 
    60基近く 
      2~4基で一つの単位 - 群  
          
    各世代で一つの古墳
    横穴 = 家族墓   密集小型=群集墳
三方原台地 南~西 
    敷智古墳群
      根本山付近に約150基
    根本山古墳群 
      火穴古墳(深萩町)弘法穴古墳(舘山寺境内)
完存 横穴式石室
  興覚寺後古墳 高根山古墳 将軍塚古墳 恩塚山古墳 
      西山古墳
横穴式石室 
    火穴・火塚と呼ぶ例 東三河~西遠江
「天から火が降ったとき逃げ込んだ穴」という伝説
    → 交易圏・通婚圏 地縁的結びつき


◇民衆の祭り
  1962年6月 
    都田町中津 宮野午吾さんの畑 中津坂上遺跡
 模造品 土製模造品 6世紀初め頃
素朴な農民の農耕関連祭りか? 人里離れた山
  伊場遺跡 
    5世紀後半祭りの場 
    祭り用土器 滑石製模造品
形代 = 模造品


◇古墳の終わりと火葬
  各世帯で家長権が強化
   → 家父長中心家族形態 + 薄葬令   税や労役  
  終末期古墳 
   - 県内唯一 向野古墳 スズミの御所古墳も
  6~7世紀 
    古墳が多い 
  8世紀 
    古墳が減少
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