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「運命の道は見つけられる」諸富祥彦 サンマーク出版 2001年 ①(前) /「遠い声にうながされて」佐々木幹郎(『2011ベスト・エッセイ』光村図書より⑧)【再掲載 2014.5】 [読書記録 一般]

今回は、諸富祥彦さんの
「運命の道は見つけられる」の紹介 1回目(前)です。



出版社の紹介には


「どんな人の、どんな人生にも、ほんとうはそれを生きなくてはならな
 い、その人だけの『ほんとうの人生』が―その『見えないシナリオ』
 が―与えられている。私はいま、なぜここにいて、何のために、生ま
 れてきたのか?この『究極の問い』に答える本。」

 
とあります。


サブタイトルに「あなたの人生を変える心理学」とあります。
諸富さんは「悩める教師を支える会」代表として教師の支援にも熱心な
方です。


もう一つ、再掲載になりますが、佐々木幹郎さんの
「遠い声にうながされて」を載せます。
その声を想像してしまいます。



☆「運命の道は見つけられる」諸富祥彦 サンマーク出版 2001年 ①(前)

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◇はじめに
 「人生の見えないシナリオ」
    たったひとつの本当の人生


◇「本当の人生」を歩んでいるか
  生きる意味を問う必要は無い
  ヴィクトール・エミール・フランクル
  運命の道はすでに与えられている
  「見えないシナリオ」を発見し実現するためにこの世に生まれ
    てきたのである
- 人間は何らかの使命(ミッション)を遂行するために『見え
     ない世界』から『見える世界(この世)』へと送られてきた
  障がい児の我が子が教えてくれる幸せ
    「自分中心の生き方」
      ←→ 「意味と使命中心の生き方」 
運命が宿命から使命へと変わる
  執着を捨てよう
  40歳を過ぎて歴史学者に転身した男
    謝世輝 
      台湾→名大院 原子物理学 1959生 博士 
40歳を過ぎてから歴史学に

あなただけの「生きる義務」(使命)
  風呂場で「見えないシナリオ」と遭遇
  宇宙に働く「自己進化の力」
    ケン・ウィルパー 
  「この宇宙には偶然以外の何かの力が働いている」
 人間は宇宙の進化にかかわっている
  宇宙 「自己進化の力」
 「見える世界」から「見えない世界」へ
     人生 
       =「自己成長するための教室」 
=「魂の修行の機会」


◇「見えない世界」からの呼び声
  怪獣たちのメッセージから生まれた音楽
    東京音大元学長 伊福部昭
  科学では語り得ない世界がある
  「運命の感覚」を取り戻そう
  成功者は「上昇気流」に乗るのがうまい
  「心のざわめき」を大切にする
  無意識の動作に隠された意味
  「気になる何か」をそのままにしない
  求め抜いてこそ見えてくる


◇「運命の道」を見つける方法
  幸福を求める人は幸福を逃す
    欲望の蟻地獄  
 あなたはなぜ生まれてきたのか
  「幸福のパラドックス」
      - 「使命発見・実行型」
  「見えない世界」からのスパイ
    恩師-國分康孝
  すべてを投げ出したら目覚めた 
 わたしの命はわたしのものではない
    「わたしの前にまずいのちがあり、あとから私(=自己意識)が
     生まれた」
  自己変容を遂げるための5段階
  ひとりになって自分と対話する
  「見る自分」と「」見られる自分
  「成功の道」から「運命の道」へ






☆「遠い声にうながされて」佐々木幹郎(『2011ベスト・エッセイ』光村図書より⑧)【再掲載 2014.5】

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 たった1日のことだが、その1日の出来事が生涯を動かす、というこ
とがある。


 1981年のことだから、もう30年近く前のこと。


 わたしは友人の国文学者、兵藤裕己氏(現学習院大学教授)と2人で
佐賀県の背振山のふもとの村を歩いていた。


 背振山はかつては山岳信仰の盛んなところだった。


 山頂には弁財天が祀られた脊振神社がある。暑い夏の1日だった。


 わたしたちは集落にぶつかると、その1軒1軒を訪ねて、同じことを
聞いて歩いた。


 この辺に琵琶弾きさんはおられませんでしょうか。琵琶弾きさんが来
られたことはあるでしょうか。


 このあたりに、いまも活躍している盲目の琵琶法師がいるという噂を
聞いて、その人に会いたいということで探しに出たのである。


 事前に手に入れていた情報はそこまでだった。


 中世以来、平家物語などの語り物は、座頭(盲人)の琵琶法師を通じ
て伝承されてきた。


 彼らは文字ではなく、耳から耳へ、口語りで物語を伝承してきた。

 
 それが最もよく残っているのが九州であって、30年前には高齢になっ
ておられたが、何人もの盲目の琵琶法師が活躍していた。


 他の地方では廃れたのに、なぜ九州に多く残ったかというと、この地
方の語り物芸は、竈を新築したときや家を新築したとき、琵琶を演奏す
るという民間信仰と強く結びついていたからだ。


 琵琶は神の声を伝える神具だったのである。


 また、琵琶法師は芸能者であると同時に宗教者でもあったためだ。


 いまはもう亡くなられたが、その頃、熊本県玉名郡南関町に、山鹿良
之さんという肥後琵琶を演奏する81歳の盲目の琵琶法師がおられて、
生涯、極貧に耐えながら膨大な量の語り物芸を伝承し、筑後と肥後地方
を巡回して放浪する、最後の琵琶法師と言われていた。


 わたしはその演奏を国文学者や民俗学者のグループに誘われて、何度
も熊本まで通ったのだった。


 そこでわたしを捉えたのは、耳から耳へ伝えられてきた口頭伝承の物
語の、声の魅力だった。


 決して美しい声ではなく、だみ声であり、荒々しい。
 

 琵琶の演奏もまるで打楽器のように激しく、ノイズが多い。


 声も皆もノイズがいっぱい。


 しかし、そうであるからこそ、そこで語られる言葉は説得力があった。


 「美しい声」という概念がここでは成立しない、というよりは、ノイ
ズこそが「美しい」。


 詩はもともと、このようなノイズを内側にとらえこむことによって書
かれてきたのであり、これからも書かれねばならないのではないか。


 山鹿さんの琵琶を聞いているうちにわたしは強くそう思うようになっ
た。



 そういうある一日、佐賀県と福岡県の県境にある背振山の付近にも、
わたしたちの知らない琵琶法師がいると教えられたのである。


 家々を訪ねて聞いて歩くと琵琶のような高尚な楽器の趣味を待ってい
る人はこの村にはいないと言われたり、あなた方は民生委員ですか、と
問い返されたりした。


 そのうちに、別の村のお婆さんなら詳しいことを知っているかもしれ
ないと聞かされ、その村まで行くバスを待った。


 田舎のバス停で、疲れ果てて呆然と二人で坐っていたときの思いを忘
れない。


 ついに見つからないままではないか、夜までに宿へ帰れるだろうか、
と心細くなった。


 神埼郡脊振村(現神埼市)まで行くと、78歳になるお婆さんを紹介
された。


 彼女は教えてくれた。


「わたしの小さいとき来よんさった座頭さんはですよ、朝の川の水をか
 ぶってね、梅干しと味噌と塩しか食べよんさらんよったです。今の人
 はもう、朝におつゆにイリコなんか入れても食べよんさるですけどね」


 えっとわたしたちは驚き、色めき立った。


「今も琵琶法師さんは、ここに来られるのですか」


 12月にだけ、琵琶を待って来て、神下ろしをするという。


 日本全国の神々の名を唱えるのだ。


 春と秋にもお経をあげにやって来るという。

 
 わたしたちはそこから転げるようにして里まで下りた。
 

 お婆さんに教えてもらった地番を頼りに、三田川町(現吉野ケ里町)
にある盲僧寺まで時間を忘れて走った。


 夜遅くなっていたが、失礼を省みずに訪ねた。


 藤瀬良伝という盲目の琵琶法師に出会った。


 その人がわたしたちが探し求めていた琵琶法師で、当時、57歳。


 九州で最も若い演者だった。


 14歳のときに少年航空兵に志願して、予科練に入隊。


 特攻機で死ぬはずだったが、昭和20年の敗戦の色が濃くなったあた
りから、基地で酒を飲みまくった。


 酒が無くなってからは航空燃料のメチルアルコールを飲んだという。

 
 9月に復員したが、12月になって完全失明した。


 そのとき20歳だった。


 心が荒れだしたとき、盲僧寺の琵琶法師が拾ってくれ、琵琶を習った
という。


 それまで楽器など触ったことがなかったのに。


 修行時代は、師匠と兄弟子と3人で脊振一帯を回ったという。


 戦争が最後の座頭の琵琶法師を作ったのだ。これは衝撃的だった。


 藤瀬良伝さんの楽器は掟琵琶と言い、細身のもので、桑の木で作られ
ていた。


 真夜中に「琵琶の釈」を演奏してもらった。


 いまもそのときの録音テープが残っている。


 わたしはその声を聞くたびに、わたしの詩がこのだみ声の美しさに対
抗できているだろうかと思う。


 その日、一緒に歩いた兵藤氏も、この一日の体験が、その後の琵琶法
師の研究につながったといまでも言う。

       ささき・みきろう(詩人)「日本経済新聞」7月11日
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