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「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑩(最終) /「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~  大阪大学教授 小野田正利 2008年 ⑩【再掲載 2015.11】 [読書記録 民俗]

2023年締めくくりの今回は、12月11日に続いて新谷尚紀さんの
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介10回目 最終です。



出版社の紹介には


「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生き
 ている。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よ
 く考えれば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)
 にも、なぜ投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を
 出すのか?死者
 になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、
 自らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「贈与と交換を繰り返せば上下関係が並行になり絆が強化される」


・「上下関係(社会的関係)と厄払い(脱社会的関係)、2つの贈与。脱社
  会的贈与とは、お互いに恥じらいと思いやりを忘れた状態」


・「ケガレとは生命の対極に位置する死、生命力に対する死の力。『ケ
ガレの逆転』があり、埼玉県比企郡幾川村大野村の送神祭など、
  『汚いものが逆に縁起物になる現象』がある。」


・「貨幣には死が宿る。貨幣は死を内在させているものであり、貨幣は
すべてに死をもたらし、すべてを無化する。手切れ金、退職金がそ
れを表している」


・「稲を連想させる黄金色で藁のような筋目 がある大判・小判」


・「身近な生活の中の素朴な疑問から大きな謎が解けていく民俗学の
快感」






もう一つ、再掲載になりますが、小野田正利さんの
「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応する
 か」⑩を載せます。

-「教育改革病」とも形容すべき矢継ぎ早で場当たり的な「教育改革案」
 の提示とそれらへの対応の強圧的姿勢も、急速に教職員の志気をそい
 でいます。

-「教師になんか絶対になるんじゃないぞ、と自分の子どもには言い続
 けている」と語る教師が急増し「こんなにも教師という職業が楽しく
 なくなったのはなぜでしょうか」と食って掛かるように私に質問する
 人もいます。


学校が「学びの場」でなくなりつつあるように感じます。
学びの姿勢を身に付けるために多くの無駄な時間を割いている現在の状況。
「チームで、チームで」と言われるようになってから、
教員個の力が低下しているのではないかと、わたしは思っています。
少しでも学校の状況がよくなるようにと来年に期待しています。




☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑩(最終)

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◇賽銭はなぜ投げるのか
1 民俗から見る貨幣
身近な疑問から
儀礼と貨幣
贈与の意味 
① 袋に入れてあげるお金         
        贈与交換による絆の強化
② みんなにまいてあげるバラ銭、コイン  
        領域侵犯に際しての贈与
贈与 
     あげた方が上
       → 返す 
     返した方が上 
       → 違う物を → …

◎ 贈与と交換を繰り返せば上下関係が並行になり絆が強化さ
     れる
贈与と領域侵犯
手土産をもっていくことにより±0
贈与  
      上下関係(社会的関係)
厄払い(脱社会的関係)
贈与と厄払い
脱社会的贈与 
       = お互いに恥じらいと思いやりを忘れた状態
忘我陶酔 
       芸能の状況世界

 
2 貨幣とケガレ
分析概念としてのケガレ
ケガレ  
       不潔、危険、感染性、強力

ケガレとは生命の対極に位置する死
         生命力に対する死の力
ケガレの逆転
埼玉県比企郡幾川村大野村の送神祭
= 汚いものが逆に縁起物になる現象
貨幣はケガレの吸引装置
① ケガレの逆転現象
② ケガレは貨幣に託されている

◎ ケガレを放ち捨てて祓い清めている
賽銭、厄払いのお金をまく

神社は人々のケガレの捨て場
神社はケガレの浄化吸引装置
ケガレから神へ
十字架のキリスト
貨幣には死が宿る
貨幣
      = 死(ケガレ)
  貨幣は死を内在させているもの 
        貨幣はすべてに死をもたらす
  すべてを無化する

◎ 手切れ金、退職金

 
3 貨幣の誕生
死は概念である
王権と貨幣 
     神を祀る者 
      = 時間と空間を解読する者こそが王の原点
神を祀る者
現世と他界の媒介者・境界人

◎ 王が解読する時間と空間のものさしのようなものとして
      つくられたのが貨幣ではないか
貨幣は王権の象徴である 
① 紀元前7世紀 
        リディア王 
        エレクトロン貨幣 
         → ペルシア金貨        
     ② 紀元前17世紀 
        宝貝 → 中国王朝
大判と石高制
日本独自の貨幣は金貨の大判・小判
大判・小判 
       ~ 稲を連想させる黄金色
わらのような筋目
大判金 
       十両 米十石
小判金
       一両 米一石

◇あとがき  
民俗学 
    ① 専門教育 学術研究
② 知識提供「社会還元」
    ※ ①+② 車の両輪
民俗学  
   - 身近な生活の中の素朴な疑問から大きな謎が解けていく民俗
    学の快感





☆「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~  大阪大学教授 小野田正利 2008年 ⑩【再掲載 2015.11】

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(4)体力と体温を奪われる学校

 規制改革会議などの答申文書を見ればよく分かるのですが、政府の進
める「構造改革」のー環として「商品としての教育」があけすけに語ら
れています。


そして、学校などに、バウチャー制度や学校選択制という形で変革を
追っています。


 こういった風潮が喧伝されれば、学校教育は「消費する対象」として
しかみられず、満足できるような教育を「共に作り上げる当事者として
の子ども・保護者」という存在は消し去られていきます。


 このことが、子どもを前にして対等に協力しあう関係ではなく「顧客と
サービス提供者」という間違った関係性意識を生み出すことになります。


 したがって理不尽な要求は、必ずしも公立学校に多いというわけでは
なく、むしろ私立の進学校の方にも相当に厳しい現実があり、保育料を
払う保育園・幼稚園も悲鳴をあげているのです。
  


「教育改革病」とも形容すべき矢継ぎ早で場当たり的な「教育改革案」
の提示とそれらへの対応の強圧的姿勢も、急速に教職員の志気をそいで
います。


 教員評価制度と給与査定への反映は、教師文化の中にあった同僚性を
弱め「自分にさえ降りかかってこなければ」とか「火中の栗を拾うもん
じゃない」という孤立主義的傾向を強めさせ、結局は保護者からの多様
な願い(要求)を受け止める保水力を失いつつあります。
  

「教師になんか絶対になるんじゃないぞ、と自分の子どもには言い続け
ている」と語る教師が急増し「こんなにも教師という職業が楽しくなく
なったのはなぜでしょうか」と食って掛かるように私に質問する人もい
ます。


 複雑化する子ども遠の実態への対応、矢継ぎ旱に降ってくる上からの
「教育改革」への対処、能力を超えた過大な要望の前に苦悩する学校と
いうのが今の日本全体の状況です。


 定年前に「教師を降りる」人は急増し、能力的にも高く真面目な青年
が教職に就くことを忌避する傾向が進んでいることは危機的に思えるの
です。
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