「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑧ /「腕白小僧がいた」土門拳 小学館文庫 2002年【再掲載 2014.6】 [読書記録 民俗]
今回は、11月28日に続いて新谷尚紀さんの
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 8回目です。
出版社の紹介には
「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生き
ている。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よ
く考えれば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)
にも、なぜ投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を
出すのか?死者
になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、
自らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「『枕飯と火』箸は死者の食物を明示している。米の力で死者の魂をつ
なぎ止め、餓鬼悪霊が取り憑かないようにする。ロウソクの火は特別
な世界を表す」
・「10世紀、死は人間にとって必ず訪れる人生の締めくくりであり、
『何も思い残すことはない』という最期の言葉と穏やかな死に顔こそ
が理想であった」
・「石塔の初めは五輪塔。1167年藤原基実の墓石」
・「日本では土葬と火葬が古代以来ずっと長く併存」
・「浄土真宗葬儀では門徒寺住職より『白骨の御文章』がよまれる。
-『我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず』
-『朝には紅顔、夕は白骨』」
は、死の宗教たる浄土教の一つの到達点」
我が家の菩提寺は浄土真宗であり葬儀の際、
『白骨の御文章』を聞きます。
年齢を重ねていくにつれ、その言葉が心にしみてきます。
もう一つ、再掲載になりますが、土門拳さんの
「腕白小僧がいた」を載せます。
☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑧
◇葬儀と墓
1 葬儀の知識
香典とは何か
米
- 労力を提供し合い食事を共に
一 俵香典
葬儀と酒
湯灌酒 穴掘り酒
酒
- 生命を守る米の力の凝縮
葬儀と血縁
枕飯と火
箸
- 死者の食物を明示
米の力で死者の魂をつなぎ止め、餓鬼悪霊が取り憑かない
ようにする
ロウソクの火
- 特別な世界
湯灌と清拭
産湯と湯灌
湯灌と焼香
十世紀
- 死は人間にとって必ず訪れる人生の締めくくり
※「何も思い残すことはない」という最期の言葉と穏やかな死に顔
こそが理想であった。
遺影
写真が飾られるようになったのは1970年代以降葬儀社進出に
よる
|
棺の蓋を開けての個人との最期の対面が身内だけに省略され
てきた
葬儀の祭壇
新しいもの
野辺送りの葬列こそ最重要
葬儀式
→ 告別式中心へ
位牌
義満
- 出家姿の絵
~ 室町時代より
読経と弔辞
塩と清め
会葬御礼の塩袋は葬儀社の発案
初七日
四十九日法要
「続日本紀」大宝2(702)年 持統天皇の葬儀の時から
四十九日法要
初七日当日にすませてしまうことが多い
49日間に極楽往生できるかどうかが決まる
↓
遺族は忌み慎みの生活をして法事と墓参
笠の餅、引っ張り餅
生者と死者の食い分かれ
四十九餅
2 死者と墓
石塔を建てる
明治以後に多い
初期
夫婦が幸せでも一緒につながっていたいという気持ちから自
分たちで建てたものが多かった
石塔の初め
五輪塔
1167年藤原基実の墓石
墓石と流行
墓石
- 形式・碑文・材質の変遷
洗骨見学記
沖縄 女性 墓室
火葬と遺骨
日本
土葬から火葬
散骨の伝統
平安・淳和天皇(786~840)散骨を命ずる
|
風葬 - 時間を掛けて遺骨の確保をはかる
火葬 - 焼却こそ第一の目的
遺骨と毛髪
納めることが大切
土葬や風葬の行方
日本では土葬と火葬が古代以来ずっと長く併存
|
◎ 沖縄等南島吐息では風葬が一般的
3 辞世の歌
親の死に目
「親の死に目に会えないぞ」
= 「親より先に死ぬぞ」の意味
辞世の歌
恐怖と諦観 折り合わせ
死の恐怖は歌により克服され和らげられてきた
白骨の御文章
「それ人間の浮生なる相を、つらつら観ずるに、おほよそは
かなきものはこの世の始中終、まほろしのごとくなる一期
なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりといふ事をき
かず。一生すぎやすし、いまにいたりて、たれが百年の
形身体(きょうたい)をもつべきや。我やさき人やさき、
けふともしれずあすともしらず、おくれさきだつ人は、も
とのしずくのすゑの露よりもしげしといへり。されば、朝
には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに无常
(むじょう)の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこ、
たちまちにとぢ、ひとつのいきなかくたえぬれば、紅顔む
なしく変じて、桃梨のよそはひもうしなひぬるときは、六
親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて、なげきかなしめど
も、更にその甲斐あるべからず。さてしてもあるべき事な
らねばとて、野外に送りて、夜半のけぶりとなしはてぬれ
ば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふも、中々おろ
かなり。されば、人間のはかなき事は老少不定(ろうしょう
ふじょう)のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大
事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念
仏まうすべきものなり。あなかしこ。あなかしこ。」
蓮如(1415~1499)85歳
浄土真宗葬儀
「白骨の御文章」 門徒寺住職より
「我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず」
「朝には紅顔、夕は白骨」
|
◎ 死の宗教たる浄土教の一つの到達点
宗教と学問
「六道輪廻の間には、ともなふ人もなかりけり 独り生まれ
て独り死す、生死の道こそかなしけれ」
一遍(1239~1289)51歳
「あす如何にならむは知らず今日の日の今日するわざにわが
命あり」
津田左右吉(1873~1961)89歳
「老いてまた待つべきことの有り顔にほほえむ翁あはれ八十七」
柳田国男(1875~1962)88歳
☆「腕白小僧がいた」土門拳 小学館文庫 2002年【再掲載 2014.6】
◇土門拳
1909~1990
山形県酒田市生
1935
日本工房入社
報道写真家としてスタート
1940
古寺撮影
『古寺巡礼』ライフワーク
リアリズム論争
◇下町の子どもたち
近藤勇と鞍馬天狗
焚き火
落書き
泣く子
おでん屋
帰りにキャラメルチョコレート
お使いとお駄賃
のぞきからくり
金魚すくい
針金細工
夕涼み
シャボン玉
お祭りの日
新香細工
新聞配達
◇露地ですべて学んだ 群ようこ(昭和29小石川生)
「早く遊びに行きなさい」母から
「天気がいいのに何で外で遊ばないの」
路地
- 友達
気のいいおじさん、おばさん
怖いおばあさん、おじいさん
野良猫 野良犬
◇日本の子どもたち
団らん
とっくみあい
切り株
田がき
香具師
お使い小僧
◇筑豊の子どもたち
尻っぱしょり
紙芝居
弁当の写真(もっていない子)
◇時代を超えたメッセージ 柳田邦男
『筑豊の子どもたち』1960年春
子ども大好き
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 8回目です。
出版社の紹介には
「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生き
ている。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よ
く考えれば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)
にも、なぜ投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を
出すのか?死者
になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、
自らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「『枕飯と火』箸は死者の食物を明示している。米の力で死者の魂をつ
なぎ止め、餓鬼悪霊が取り憑かないようにする。ロウソクの火は特別
な世界を表す」
・「10世紀、死は人間にとって必ず訪れる人生の締めくくりであり、
『何も思い残すことはない』という最期の言葉と穏やかな死に顔こそ
が理想であった」
・「石塔の初めは五輪塔。1167年藤原基実の墓石」
・「日本では土葬と火葬が古代以来ずっと長く併存」
・「浄土真宗葬儀では門徒寺住職より『白骨の御文章』がよまれる。
-『我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず』
-『朝には紅顔、夕は白骨』」
は、死の宗教たる浄土教の一つの到達点」
我が家の菩提寺は浄土真宗であり葬儀の際、
『白骨の御文章』を聞きます。
年齢を重ねていくにつれ、その言葉が心にしみてきます。
もう一つ、再掲載になりますが、土門拳さんの
「腕白小僧がいた」を載せます。
☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑧
◇葬儀と墓
1 葬儀の知識
香典とは何か
米
- 労力を提供し合い食事を共に
一 俵香典
葬儀と酒
湯灌酒 穴掘り酒
酒
- 生命を守る米の力の凝縮
葬儀と血縁
枕飯と火
箸
- 死者の食物を明示
米の力で死者の魂をつなぎ止め、餓鬼悪霊が取り憑かない
ようにする
ロウソクの火
- 特別な世界
湯灌と清拭
産湯と湯灌
湯灌と焼香
十世紀
- 死は人間にとって必ず訪れる人生の締めくくり
※「何も思い残すことはない」という最期の言葉と穏やかな死に顔
こそが理想であった。
遺影
写真が飾られるようになったのは1970年代以降葬儀社進出に
よる
|
棺の蓋を開けての個人との最期の対面が身内だけに省略され
てきた
葬儀の祭壇
新しいもの
野辺送りの葬列こそ最重要
葬儀式
→ 告別式中心へ
位牌
義満
- 出家姿の絵
~ 室町時代より
読経と弔辞
塩と清め
会葬御礼の塩袋は葬儀社の発案
初七日
四十九日法要
「続日本紀」大宝2(702)年 持統天皇の葬儀の時から
四十九日法要
初七日当日にすませてしまうことが多い
49日間に極楽往生できるかどうかが決まる
↓
遺族は忌み慎みの生活をして法事と墓参
笠の餅、引っ張り餅
生者と死者の食い分かれ
四十九餅
2 死者と墓
石塔を建てる
明治以後に多い
初期
夫婦が幸せでも一緒につながっていたいという気持ちから自
分たちで建てたものが多かった
石塔の初め
五輪塔
1167年藤原基実の墓石
墓石と流行
墓石
- 形式・碑文・材質の変遷
洗骨見学記
沖縄 女性 墓室
火葬と遺骨
日本
土葬から火葬
散骨の伝統
平安・淳和天皇(786~840)散骨を命ずる
|
風葬 - 時間を掛けて遺骨の確保をはかる
火葬 - 焼却こそ第一の目的
遺骨と毛髪
納めることが大切
土葬や風葬の行方
日本では土葬と火葬が古代以来ずっと長く併存
|
◎ 沖縄等南島吐息では風葬が一般的
3 辞世の歌
親の死に目
「親の死に目に会えないぞ」
= 「親より先に死ぬぞ」の意味
辞世の歌
恐怖と諦観 折り合わせ
死の恐怖は歌により克服され和らげられてきた
白骨の御文章
「それ人間の浮生なる相を、つらつら観ずるに、おほよそは
かなきものはこの世の始中終、まほろしのごとくなる一期
なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりといふ事をき
かず。一生すぎやすし、いまにいたりて、たれが百年の
形身体(きょうたい)をもつべきや。我やさき人やさき、
けふともしれずあすともしらず、おくれさきだつ人は、も
とのしずくのすゑの露よりもしげしといへり。されば、朝
には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに无常
(むじょう)の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこ、
たちまちにとぢ、ひとつのいきなかくたえぬれば、紅顔む
なしく変じて、桃梨のよそはひもうしなひぬるときは、六
親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて、なげきかなしめど
も、更にその甲斐あるべからず。さてしてもあるべき事な
らねばとて、野外に送りて、夜半のけぶりとなしはてぬれ
ば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふも、中々おろ
かなり。されば、人間のはかなき事は老少不定(ろうしょう
ふじょう)のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大
事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念
仏まうすべきものなり。あなかしこ。あなかしこ。」
蓮如(1415~1499)85歳
浄土真宗葬儀
「白骨の御文章」 門徒寺住職より
「我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず」
「朝には紅顔、夕は白骨」
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◎ 死の宗教たる浄土教の一つの到達点
宗教と学問
「六道輪廻の間には、ともなふ人もなかりけり 独り生まれ
て独り死す、生死の道こそかなしけれ」
一遍(1239~1289)51歳
「あす如何にならむは知らず今日の日の今日するわざにわが
命あり」
津田左右吉(1873~1961)89歳
「老いてまた待つべきことの有り顔にほほえむ翁あはれ八十七」
柳田国男(1875~1962)88歳
☆「腕白小僧がいた」土門拳 小学館文庫 2002年【再掲載 2014.6】
◇土門拳
1909~1990
山形県酒田市生
1935
日本工房入社
報道写真家としてスタート
1940
古寺撮影
『古寺巡礼』ライフワーク
リアリズム論争
◇下町の子どもたち
近藤勇と鞍馬天狗
焚き火
落書き
泣く子
おでん屋
帰りにキャラメルチョコレート
お使いとお駄賃
のぞきからくり
金魚すくい
針金細工
夕涼み
シャボン玉
お祭りの日
新香細工
新聞配達
◇露地ですべて学んだ 群ようこ(昭和29小石川生)
「早く遊びに行きなさい」母から
「天気がいいのに何で外で遊ばないの」
路地
- 友達
気のいいおじさん、おばさん
怖いおばあさん、おじいさん
野良猫 野良犬
◇日本の子どもたち
団らん
とっくみあい
切り株
田がき
香具師
お使い小僧
◇筑豊の子どもたち
尻っぱしょり
紙芝居
弁当の写真(もっていない子)
◇時代を超えたメッセージ 柳田邦男
『筑豊の子どもたち』1960年春
子ども大好き