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「30分で分かる教師のための叱る技術」上條晴夫 学陽書房 2015年 ④ /「歴史の風景」木村尚三郎 山川出版社 2003年 ②【再掲載 2015.7】 [読書記録 教育]

今回は、12月6日に続き、倉本聰さん、上條晴夫さんの
「30分で分かる教師のための叱る技術」の紹介 4回目です。



出版社の紹介には


「騒がしい教室をどうにかしたい先生へ!生徒が素直になる叱り方、指
 導法がこの本1冊でわかる!
 今日からすぐに実践できる叱るときのコツから、叱らなくて済むよう
 になる一工夫など、教師がラクになるノウハウが満載!」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「いきなり授業にはいるのではなく頭の準備運動が必要になってくる」


・「立ち歩きがダメなら、ノート作業時は合法的に立ち歩きOKにした
ら」


・「バラエティー型で学ぶ。5分の活動2つで10分間のユニットをつ
くり、パーツを組み合わせて授業をつくる 」



もう一つ、再掲載になりますが、木村尚三郎さんの
「歴史の風景」②を紹介します。
木村さんは当時浜松にある静岡文化芸術大学の学長でした。
次の学長が何かと話題の現静岡県知事川勝平太さんです。




☆「30分で分かる教師のための叱る技術」上條晴夫 学陽書房 2015年 ④

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◇第3章 学びを生む技術
□ウォーミングアップする  
  ◎ウォーミングアップ
     いきなり授業にはいるのではなく頭の準備運動が必要になっ
    てくる 

□座席配置を変化させる  
  ◎劇場型って
  グループリーダーと教師に背を向けるように座らせてみると
    おもしろい

□立ち歩きを合法化する  
  ◎立ち歩きがダメなら
    「ノート作業時は合法的に立ち歩きOK」
      ~ 学べる学習 
      ~ ノートを見る 
      ~ 学び合いが促進        

□参加型板書を工夫する  
  ◎参加型板書
  板書への参加
       ~ 子どもたちの自己承認欲求
     学習の振り返りの際、全員が短く黒板に書く 

□学習ルールを明示する  
  ◎理由があれば
 「○分間××してください」
      - 理由も説明

□自己表現の場を増やす  
  ◎自己表現
    ジェスチャーゲーム 
     - 屁理屈  

□学習ゲームを活用する 

□グループで学習する  
  ◎寝て起きたら
     作文 「ねておきたら」 

□バラエティー型で学ぶ  
  ◎バラエティー
     5分2つで10分間のユニット
       パーツを組み合わせて授業をつくる   

□学びの仕掛けを作る  
  ◎ラブレター
     ラブレター作文







☆「歴史の風景」木村尚三郎 山川出版社 2003年 ②【再掲載 2015.7】

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◇「水戸黄門」への疑問

「水戸黄門」は高い視聴率を誇る人気テレビ番組の一つであるが、ひと
つ大きな疑問がある。


 水戸黄門側は最後になって、

「ええい、控えい。この印籠が目に入らぬか」

とやる。


 相手側は恐れ入って、事件は急転直下解決し、メデタシ、メデタシと
なる。


 しかし水戸黄門側は、なぜ最初から印籠を出さないのであろうか。


 相手側の立場に立って、考えてみよう。


 もし水戸黄門側が最初から印篭を見せてくれていれば、相手側もそん
なに悪いことをしないで済んだはずである。


 水戸黄門が人のいい、田舎のじいさんの恰好で相手をだまし、ニコニ
コしているからこそ、相手側も安心して悪いことのし放題、ということ
になる。


 その人のいい田舎じじいが、最後になって突如豹変し、仏の顔が鬼の
顔に変り、本心を現す。


 相手側としてはびっくり仰天で、こんなにはた迷惑な、アンフェアな
話はない。


 これがもしヨーロッパ人かアメリカ人なら、まず自分の立場、自分の
意見を相手側にはっきりと示して、相互に折り合える線を発見しようと
努めるだろう。


 それが異質者間に不可欠な、コミュニケーションということである。


 その努力を重ねてもダメな場合、はじめて戦いが始まることになる。


 水戸黄門側に、このコミュニケーション感覚はゼロである。


 嫌な相手とは最初から口を利かず、表面はニコニコしてひたすら我慢
に我慢を重ね、挙げ句のはては堪忍袋の緒が切れて、心中の鬼が表の顔
に現れ、過激な行動に出る。


 予想外の変化に、相手側は驚き怖れるばかりである。



 悪い敵をやっつける正義の味方鉄腕アトムも時代劇も、欧米人には
「破壊的・暴力的」と受け取られる。


 それは、コミュニケーション不在のドラマだからである。


 嫌な相手とも、いや嫌な相手だからこそ手を結ぼうとするのが、真の
コミュニケーション感覚ではないのか。





 
◇歩き方は動く思想

 歩き方は動く思想であると喝破したのは、十九世紀前半フランスの文
豪、オノレ・ド・バルザックである(『人間喜劇』所収、山田登世子訳
『風俗のパトロジー』新評論)。


 身体の動きが休息に近ければ近いはど、考えを見破られにくい。


 ゆったりした動作には威厳がつきまとう、と彼はいう。


 たしかに如来像は、目を半眼に開く結跏趺坐の動かぬ姿によって、深
い悟りの境地を表現し、拝する人に大きな安心感を与えている。


 反対に、「何かまわず触ってみたり、立ったり座ったり、ガサガサ、
コソコソ」と、蠅の真似をして跳ねまわる人、「気忙しくせかせか歩く
手合なんぞはどれほど軽蔑してよいものか。


 大勢の人がのんびり歩いているなかを、泥のなかのウサギよろしく
「掻きわけていくあの連中」(山田訳)と、述べる。


 つねにじっとしておれず、街頭や駅で少しでも人の先に出ようとし、
車内で座席を奪い合う私たち日本人は、全体が「動く下品」なのかも
知れない。


「女神ハ歩ム姿二御身ヲ顕シ給り」(ウェルギリウス)。


 どたばたのぶざまな歩き方は、横柄な口の利き方と同様に、礼儀知
らずの振る舞いだという彼の指摘は、間違いなくヨーロッパにおける
文化特性の一つを表現している。


 フランス女性の香水のつけ方は、手を前に伸ばし自分に向けシュッ
と一吹きしてから、前方に歩いていくのがコツと教えるのは、モリス
『フレグランス』(求龍堂)の共訳者の一人、マリ・クリステイーヌさ
んである。


 アラカンこと嵐寛寿郎は立ち回りが美しく、走っても着物の裾が乱
れなかった。


 それは、若いころ歌舞伎の女形をやっていたからであった。(松島ト
モ子『母と娘の旅路』文藝春秋)


 「立てば芍薬坐れば牡丹、歩む姿は百合の花」
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