「他人の目を気にせず生きる技術」諸富祥彦 大和出版 2003年 ③ /「あるがままに老いる」大原健士郎 毎日新聞社 2001年 ④(最終)【再掲載 2016.1】 [読書記録 一般]
今日は3月27日水曜日です。
今回は3月24日に続いて、諸富祥彦さんの、
「他人の目を気にせず生きる技術」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「気にしなければ、もっとラクになれる…もっとやりたいことができ
る…わかっているのに、なぜやめられないのだろう?人生が変わる
ヒント」。
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「あなたが人を嫌うことがあるように人もあなたを嫌うこともある。
だから人に嫌われたからと言って自信を失う必要はない」
・「自意識の高さ、プライドの高さこそ生きにくさの原因。しかし
人間はよりよく生きようとするからこそ苦しい」
・「逃げても苦しみはなくならない」
・「とりあえず自分にストップをかける。相手に従う前にとにかくス
トップ」
・「すべては自分の受け取り方で決まる。減点主義から抜け出す」
もう一つ、再掲載になりますが、大原健士郎さんの
「あるがままに老いる」④を載せます。
☆「他人の目を気にせず生きる技術」諸富祥彦 大和出版 2003年 ③
◇「他者中心の生き方」から「自分中心の生き方」へ
※ 人生の主人公はあなた自身
□今の苦しみを心のパワーに変える
「なぜみんな生きていられるのだろう」
・ 他の人は何を言おうとあなたの人生の責任を取ってくれ
ることはない。
・ 人はあなたが思うほど他人のことに関心がない
・ あなたが人を嫌うことがあるように人もあなたを嫌うこ
ともある。だから人に嫌われたからと言って自信を失う必
要はない
□自意識の高さが苦しみのもと
自意識の高さ、プライドの高さこそ生きにくさの原因
しかし… 人間はよりよく生きようとするからこそ苦しい
□「巨大な悩み」がもたらしたもの - わたしの体験
自分を変えるチャンス
転校 ギャグ
~ エネルギーの放出
他人の目など気にしていられない
自分に言い聞かせる
「どう思われようと構わない」
- 1日に何百回
「本来的な苦悩にとらえられると非本来的な苦悩は消える」
キルケゴール
◎「なぜ生きるか」
□恥は買ってでもかけ
プロレスがわたしを変えた
敢えて人の前に出る
「笑われる自分」を演じてみる
□自分の殻を破るちょっとしたきっかけ
「誰」が自分を見ているか
米・アルバート・エリス
「真っ黄色の靴下と真っ赤な靴下を片方ずつはいて、この
ニューヨークの街を30分間散歩してきてみてください」
→ ◎ 笑った人は一人もいなかった
思いこみが招く「五感のゆがみ」
「すきなことをしていいんだ」
◎ あこがれの存在になりきる
わざとへんてこな踊り
□人生の主人公は自分自身
内面の変化が自分を救う
どんな時代であったとしても
- ◎ 逃げても苦しみはなくならない
□自分を世界の中心として生きる
人生には2種類しかない
① 他者の目を気にしてびくびくしながら生きる人生
② わたしはわたしの人生を生きる
人の数だけ中心がある
◎ 相対論的に見るなら宇宙の中心はあくまでもあなた自身
違いを認め合う関係
映画「ビューティフルマインド」
ロジャース
-論文「真にあるがままの自分になること」
カウンセリングとは「自分はこの世界の端にいる」
と感じている人が、「わたしは世界の中心にいる」
「わたしの人生の主人公はわたしだ」と感じられる
ようになっていくそのプロセス
□他人を気にするクセを変えるための方法
ストップをかける効果
認知行動療法
「とりあえず自分にストップ」をかける方法
- 相手に従う前にとにかくストップ
「ちょっとまって」の一言を
ちょっと考えさせて(ロールプレイング)
□あなたこそあなたを確実に幸せにすることのできる唯一の人
すべては自分の受け取り方で決まる
減点主義から抜け出す
☆「あるがままに老いる」大原健士郎 毎日新聞社 2001年 ④(最終)【再掲載 2016.1】
◇臓器移植
日本人
- 老荘思想「自然に服従し,境遇に従順になれ」
◇少子化
究極の幸せは今や施設ではない
→ 人の心
「家族を幸せにできなくて何で患者さんを幸せにできるのか」
「幸せになる」「幸せにする」原点は家族
◇担任を辞めたがる教師
辞めてはいけない
◇男の顔は履歴書
顔だけでは判断できない
◇守破離
高良(武久)の森田療法
- 森田の森田療法
ネオ・モリタセラピー
◇昔話
高良
「無駄な苦労はしない方がいいよ。いじけた人間になるから」
浦島太郎症候群 と かぐや姫症候群
◇お墓
蜆塚遺跡
… 墓は炉のすぐそばにある
◇今どきの若い者は
国に一大事が起こると若者たちが大きなエネルギーを発揮す
ることがある
明治維新 太平洋戦争
朝夕のあいさつとお茶くみ
◇県民性
メランコリー型
… 几帳面,勤勉,頑固 秩序を重んじる性格
◇「毎日ライフ」1996.12~2001.1 5年2か月
森田正馬
「己の性をつくし 人の性をつくし 物の性をつくす」
◇大原健士郎
1930年 高知生 東京慈恵医大卒
浜松医大名誉教授 横浜相良病院名誉院長
月照庵クリニック 浜松市中区上島
今回は3月24日に続いて、諸富祥彦さんの、
「他人の目を気にせず生きる技術」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「気にしなければ、もっとラクになれる…もっとやりたいことができ
る…わかっているのに、なぜやめられないのだろう?人生が変わる
ヒント」。
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「あなたが人を嫌うことがあるように人もあなたを嫌うこともある。
だから人に嫌われたからと言って自信を失う必要はない」
・「自意識の高さ、プライドの高さこそ生きにくさの原因。しかし
人間はよりよく生きようとするからこそ苦しい」
・「逃げても苦しみはなくならない」
・「とりあえず自分にストップをかける。相手に従う前にとにかくス
トップ」
・「すべては自分の受け取り方で決まる。減点主義から抜け出す」
もう一つ、再掲載になりますが、大原健士郎さんの
「あるがままに老いる」④を載せます。
☆「他人の目を気にせず生きる技術」諸富祥彦 大和出版 2003年 ③
◇「他者中心の生き方」から「自分中心の生き方」へ
※ 人生の主人公はあなた自身
□今の苦しみを心のパワーに変える
「なぜみんな生きていられるのだろう」
・ 他の人は何を言おうとあなたの人生の責任を取ってくれ
ることはない。
・ 人はあなたが思うほど他人のことに関心がない
・ あなたが人を嫌うことがあるように人もあなたを嫌うこ
ともある。だから人に嫌われたからと言って自信を失う必
要はない
□自意識の高さが苦しみのもと
自意識の高さ、プライドの高さこそ生きにくさの原因
しかし… 人間はよりよく生きようとするからこそ苦しい
□「巨大な悩み」がもたらしたもの - わたしの体験
自分を変えるチャンス
転校 ギャグ
~ エネルギーの放出
他人の目など気にしていられない
自分に言い聞かせる
「どう思われようと構わない」
- 1日に何百回
「本来的な苦悩にとらえられると非本来的な苦悩は消える」
キルケゴール
◎「なぜ生きるか」
□恥は買ってでもかけ
プロレスがわたしを変えた
敢えて人の前に出る
「笑われる自分」を演じてみる
□自分の殻を破るちょっとしたきっかけ
「誰」が自分を見ているか
米・アルバート・エリス
「真っ黄色の靴下と真っ赤な靴下を片方ずつはいて、この
ニューヨークの街を30分間散歩してきてみてください」
→ ◎ 笑った人は一人もいなかった
思いこみが招く「五感のゆがみ」
「すきなことをしていいんだ」
◎ あこがれの存在になりきる
わざとへんてこな踊り
□人生の主人公は自分自身
内面の変化が自分を救う
どんな時代であったとしても
- ◎ 逃げても苦しみはなくならない
□自分を世界の中心として生きる
人生には2種類しかない
① 他者の目を気にしてびくびくしながら生きる人生
② わたしはわたしの人生を生きる
人の数だけ中心がある
◎ 相対論的に見るなら宇宙の中心はあくまでもあなた自身
違いを認め合う関係
映画「ビューティフルマインド」
ロジャース
-論文「真にあるがままの自分になること」
カウンセリングとは「自分はこの世界の端にいる」
と感じている人が、「わたしは世界の中心にいる」
「わたしの人生の主人公はわたしだ」と感じられる
ようになっていくそのプロセス
□他人を気にするクセを変えるための方法
ストップをかける効果
認知行動療法
「とりあえず自分にストップ」をかける方法
- 相手に従う前にとにかくストップ
「ちょっとまって」の一言を
ちょっと考えさせて(ロールプレイング)
□あなたこそあなたを確実に幸せにすることのできる唯一の人
すべては自分の受け取り方で決まる
減点主義から抜け出す
☆「あるがままに老いる」大原健士郎 毎日新聞社 2001年 ④(最終)【再掲載 2016.1】
◇臓器移植
日本人
- 老荘思想「自然に服従し,境遇に従順になれ」
◇少子化
究極の幸せは今や施設ではない
→ 人の心
「家族を幸せにできなくて何で患者さんを幸せにできるのか」
「幸せになる」「幸せにする」原点は家族
◇担任を辞めたがる教師
辞めてはいけない
◇男の顔は履歴書
顔だけでは判断できない
◇守破離
高良(武久)の森田療法
- 森田の森田療法
ネオ・モリタセラピー
◇昔話
高良
「無駄な苦労はしない方がいいよ。いじけた人間になるから」
浦島太郎症候群 と かぐや姫症候群
◇お墓
蜆塚遺跡
… 墓は炉のすぐそばにある
◇今どきの若い者は
国に一大事が起こると若者たちが大きなエネルギーを発揮す
ることがある
明治維新 太平洋戦争
朝夕のあいさつとお茶くみ
◇県民性
メランコリー型
… 几帳面,勤勉,頑固 秩序を重んじる性格
◇「毎日ライフ」1996.12~2001.1 5年2か月
森田正馬
「己の性をつくし 人の性をつくし 物の性をつくす」
◇大原健士郎
1930年 高知生 東京慈恵医大卒
浜松医大名誉教授 横浜相良病院名誉院長
月照庵クリニック 浜松市中区上島
「あの町この町」加藤鎮毅 ひくまの出版 1981年 /「非行の予防学」佐々木光郎 三学出版 2011年 ③【再掲載 2016.5】 [読書記録 郷土]
今日は3月26日、火曜日です。
今回は、加藤鎮毅さんの
「あの町この町」を紹介します。
新しい任地が決まったときにその地域のことを調べますが、
駅南に勤めていた頃読んだ本だと思います。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「浜津が言いづらいからハーマツか?」
・「『八幡宮由来記』、『十六夜日記』から浜松か?」
・「天竜川の呼び名は、あら玉川、広瀬川、天中川、天竜川へと変遷し
ていったか。」
もう一つ、再掲載になりますが、佐々木光郎さんの
「非行の予防学」③を載せます。
本日は勤務校で離任式があります。
わたしも40年間の学校勤務から離れます。
☆「あの町この町」加藤鎮毅 ひくまの出版 1981年
◇加藤鎮毅
1935生 中区曳馬町
遠州の歴史を学ぶ会 浜松市かるた協会会長
◇ハーマツについて
万葉集
巻一 白波の浜松か枝の手向けくさ幾代までにか年の経るらむ
川島皇子
いざ子ども早く日本へ大伴の三津の浜松待ち恋ひぬらぬ
山上憶良
巻二 磐代の浜松が枝を引き結びま草くあらばまたかへりみむ
有馬皇子
巻三 昨日こそ君はありしか思はぬに浜松の上に雲たなびく
大伴三中
巻十二 豊国の企救の浜松ねもころになにしか妹に相言ひとめけむ
柿本人麻呂
巻十五 ぬばたまの夜明かしにも船は漕ぎ行かな三津の浜松
待ち変ひぬらぬ 中臣朝臣宅守
巻二十 住吉の浜松が根の下延べて我が見る小野の草な刈そね
大伴家持
普通名詞ばかり
固有名詞は「倭名抄」の国衙 源順(911~983)
「浜松」「波万万都」「浜津」
- 浜津が言いづらいからハーマツか?
浜の松から浜松
「八幡宮由来記」
小沢渡の浜辺より一本の松が引馬野に
浜の松より浜松
「十六夜日記」
こよい引馬の宿と言うところにとどまる。この所のおおかた
の名をば浜松といいし…
天竜川と馬込川
天竜川
あら玉川
- 広瀬川
- 天中川
- 天竜川(室町末頃)
「続日本紀」「文徳実録」平安中~
◇町名
江西地区 13町
海老塚町 海老 ~ 入江
① 海老を食してその殻をまとめて捨てた。 - 塚を作ったこれより海老塚
② 大量の海老が打ち上げられた - 懇ろに葬る 塚 海老塚
③ 開拓者が、健康で腰が曲がるまで寿命を保って「生まれ、
育ち、生活」した
土地のために貢献しようと誓い合って海老塚村と命名
④ 「蛇塚」→「海老塚」
⑤(著者)地形が海老のような形でないか - 水、津波の犠牲になった人々を弔った塚があったの
ではないか
駅南 4町
砂山町 「曳馬拾遺」1711年 杉浦国頭
当時は沙山
「さして高きにあらず、かりそめの岡山也、たたいさ
このみ有て、土石も見へすふりぬる松の生しけるに…」 - 高くない砂丘が点在していたのか?
吉宗の頃から開墾
有数の美田
- 穀倉地区
いちめんの田
~ スズメ 俗称「スズメの村」 - 当初 砂山(沙山)村
→ 白脇村大字砂山
1882(明治15)年 浜松八幡地
1904(明治37)年 浜松町に合併(竜禅寺 寺島と共に)
1925(大正14)年
この町に先祖が住み着いた頃、見渡せば砂山と松原
だったと言われる昔を偲んで「砂山町」に
高山定吉(菅原町自治会長 映画評論家・郷土史家)
☆「非行の予防学」佐々木光郎 三学出版 2011年 ③【再掲載 2016.5】
Ⅲ 配慮のある家庭環境
1 住まいと非行①
住まいと年齢
中学生
~ 一日の疲れを癒やす場が必要
勉強机
ないと「学ぶ楽しさ」から遠のく
心地の悪さ
= 子どもの年齢に慎重な気配りを
別々の玄関
個室も使われ方による
入室の許可
2 住まいと非行②
茂る雑草
総じて多くの困難を抱えた家族の場合は、周囲の清掃が行き
届かず雑然としているところが多かった
環境と非行との相関関係は高い
ケリング・ウィルソン(米)「割れ窓理論」
「だらしないままでもいいよ」
「きまりだったら守らなくていいよ」
= 非行準備制
表札と玄関
(1)いろいろな困難を抱える家庭ほど表札がない
親の自尊感情が低い
ひとりぼっちの子育て
(2)玄関
= それが親の対人関係の力量と養育能力を如実に物
語る
◎ 玄関はオモテ(外)とウチ(個人)をつなぐ門
間取り
個室 ○自立への一歩
×たまり場
大切
=「家の真ん中に居間を作り、子どもは居間から自室に行
くような間取り」
3 離婚と再婚 ひとり親家庭と再婚家庭(ステップファミリー)
間違った認識(シナリオ)
×ひとり親は悪い
×再婚家族に対する根拠のない見方
うまくいかない家族
(1)生別した親の悪口を盛んに言う
(2)近隣親族から相手にされない
「孤立した家庭」ネグレクトへ
(3)子どもからの「被害」を訴える親が実に多い
子どもの前で「お前のために苦労している」と愚痴る
ステップファミリーの心入れ
(1)新家庭を作るとき、子どもの年齢や心の動きにどれほど
配慮し、その意思を尊重したか
丁寧な準備が必要
(2)「実親」を性急に演じようとしたか
(3)一方の実親との関係をうまく整理をつけたか
◎ 大人は子どもの最善の利益を考える余裕をもたない
4 ステップファミリーの知恵
年齢
小5~中学生 反発が強い
= 兄弟でも年齢により反応が違う
ステップファミリーの知恵
うまくいかなかった理由
(1)パートナー紹介等のうまく取り持つ努力が成されていな
い場合
(2)子どもの意見や意向を尊重しないで勧めている場合
(3)せっかちに「本当の子ども」を強いる
→ 大人がわだかまりを和らげる努力を!
互いのよい悪いを認めあえる関係に!
非行の本当の背景
以前の大人観
離縁話
思春期のステップファミリーにはもろさがある
5 親の付き合いと非行
親の背を見て育つ
親のもつまずい「能力」を学習し、自らも他とうまく交わる
力を失っていく
非行をつくる親
親自身が今を生き生きと生きていない
「自分に甘く、他者に非常に厳しい」
権威に頼る
6 父親の役割
負の父親像
父との風呂
教育家庭の父親
母親の役目
7 祖父母と非行
登場するさせられる祖父母
祖父母クローズアップ
(1)親権が祖父母にあるような雰囲気の家族
(2)祖父母がやむを得ず引き受けている場合
強すぎる祖父母
養育しない親
声掛けは必要
今回は、加藤鎮毅さんの
「あの町この町」を紹介します。
新しい任地が決まったときにその地域のことを調べますが、
駅南に勤めていた頃読んだ本だと思います。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「浜津が言いづらいからハーマツか?」
・「『八幡宮由来記』、『十六夜日記』から浜松か?」
・「天竜川の呼び名は、あら玉川、広瀬川、天中川、天竜川へと変遷し
ていったか。」
もう一つ、再掲載になりますが、佐々木光郎さんの
「非行の予防学」③を載せます。
本日は勤務校で離任式があります。
わたしも40年間の学校勤務から離れます。
☆「あの町この町」加藤鎮毅 ひくまの出版 1981年
◇加藤鎮毅
1935生 中区曳馬町
遠州の歴史を学ぶ会 浜松市かるた協会会長
◇ハーマツについて
万葉集
巻一 白波の浜松か枝の手向けくさ幾代までにか年の経るらむ
川島皇子
いざ子ども早く日本へ大伴の三津の浜松待ち恋ひぬらぬ
山上憶良
巻二 磐代の浜松が枝を引き結びま草くあらばまたかへりみむ
有馬皇子
巻三 昨日こそ君はありしか思はぬに浜松の上に雲たなびく
大伴三中
巻十二 豊国の企救の浜松ねもころになにしか妹に相言ひとめけむ
柿本人麻呂
巻十五 ぬばたまの夜明かしにも船は漕ぎ行かな三津の浜松
待ち変ひぬらぬ 中臣朝臣宅守
巻二十 住吉の浜松が根の下延べて我が見る小野の草な刈そね
大伴家持
普通名詞ばかり
固有名詞は「倭名抄」の国衙 源順(911~983)
「浜松」「波万万都」「浜津」
- 浜津が言いづらいからハーマツか?
浜の松から浜松
「八幡宮由来記」
小沢渡の浜辺より一本の松が引馬野に
浜の松より浜松
「十六夜日記」
こよい引馬の宿と言うところにとどまる。この所のおおかた
の名をば浜松といいし…
天竜川と馬込川
天竜川
あら玉川
- 広瀬川
- 天中川
- 天竜川(室町末頃)
「続日本紀」「文徳実録」平安中~
◇町名
江西地区 13町
海老塚町 海老 ~ 入江
① 海老を食してその殻をまとめて捨てた。 - 塚を作ったこれより海老塚
② 大量の海老が打ち上げられた - 懇ろに葬る 塚 海老塚
③ 開拓者が、健康で腰が曲がるまで寿命を保って「生まれ、
育ち、生活」した
土地のために貢献しようと誓い合って海老塚村と命名
④ 「蛇塚」→「海老塚」
⑤(著者)地形が海老のような形でないか - 水、津波の犠牲になった人々を弔った塚があったの
ではないか
駅南 4町
砂山町 「曳馬拾遺」1711年 杉浦国頭
当時は沙山
「さして高きにあらず、かりそめの岡山也、たたいさ
このみ有て、土石も見へすふりぬる松の生しけるに…」 - 高くない砂丘が点在していたのか?
吉宗の頃から開墾
有数の美田
- 穀倉地区
いちめんの田
~ スズメ 俗称「スズメの村」 - 当初 砂山(沙山)村
→ 白脇村大字砂山
1882(明治15)年 浜松八幡地
1904(明治37)年 浜松町に合併(竜禅寺 寺島と共に)
1925(大正14)年
この町に先祖が住み着いた頃、見渡せば砂山と松原
だったと言われる昔を偲んで「砂山町」に
高山定吉(菅原町自治会長 映画評論家・郷土史家)
☆「非行の予防学」佐々木光郎 三学出版 2011年 ③【再掲載 2016.5】
Ⅲ 配慮のある家庭環境
1 住まいと非行①
住まいと年齢
中学生
~ 一日の疲れを癒やす場が必要
勉強机
ないと「学ぶ楽しさ」から遠のく
心地の悪さ
= 子どもの年齢に慎重な気配りを
別々の玄関
個室も使われ方による
入室の許可
2 住まいと非行②
茂る雑草
総じて多くの困難を抱えた家族の場合は、周囲の清掃が行き
届かず雑然としているところが多かった
環境と非行との相関関係は高い
ケリング・ウィルソン(米)「割れ窓理論」
「だらしないままでもいいよ」
「きまりだったら守らなくていいよ」
= 非行準備制
表札と玄関
(1)いろいろな困難を抱える家庭ほど表札がない
親の自尊感情が低い
ひとりぼっちの子育て
(2)玄関
= それが親の対人関係の力量と養育能力を如実に物
語る
◎ 玄関はオモテ(外)とウチ(個人)をつなぐ門
間取り
個室 ○自立への一歩
×たまり場
大切
=「家の真ん中に居間を作り、子どもは居間から自室に行
くような間取り」
3 離婚と再婚 ひとり親家庭と再婚家庭(ステップファミリー)
間違った認識(シナリオ)
×ひとり親は悪い
×再婚家族に対する根拠のない見方
うまくいかない家族
(1)生別した親の悪口を盛んに言う
(2)近隣親族から相手にされない
「孤立した家庭」ネグレクトへ
(3)子どもからの「被害」を訴える親が実に多い
子どもの前で「お前のために苦労している」と愚痴る
ステップファミリーの心入れ
(1)新家庭を作るとき、子どもの年齢や心の動きにどれほど
配慮し、その意思を尊重したか
丁寧な準備が必要
(2)「実親」を性急に演じようとしたか
(3)一方の実親との関係をうまく整理をつけたか
◎ 大人は子どもの最善の利益を考える余裕をもたない
4 ステップファミリーの知恵
年齢
小5~中学生 反発が強い
= 兄弟でも年齢により反応が違う
ステップファミリーの知恵
うまくいかなかった理由
(1)パートナー紹介等のうまく取り持つ努力が成されていな
い場合
(2)子どもの意見や意向を尊重しないで勧めている場合
(3)せっかちに「本当の子ども」を強いる
→ 大人がわだかまりを和らげる努力を!
互いのよい悪いを認めあえる関係に!
非行の本当の背景
以前の大人観
離縁話
思春期のステップファミリーにはもろさがある
5 親の付き合いと非行
親の背を見て育つ
親のもつまずい「能力」を学習し、自らも他とうまく交わる
力を失っていく
非行をつくる親
親自身が今を生き生きと生きていない
「自分に甘く、他者に非常に厳しい」
権威に頼る
6 父親の役割
負の父親像
父との風呂
教育家庭の父親
母親の役目
7 祖父母と非行
登場するさせられる祖父母
祖父母クローズアップ
(1)親権が祖父母にあるような雰囲気の家族
(2)祖父母がやむを得ず引き受けている場合
強すぎる祖父母
養育しない親
声掛けは必要