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「死を見つめて生きる」山折哲雄・ひろさちや ビジネス社 2002年 ⑥ / 基礎基本とは ①(前半)-基礎基本と学ぶ意欲 安彦忠彦(名大)「総合教育技術」2001.9【再掲載 2015.6】 [読書記録 宗教]

今回は、8月5日に続いて山折哲雄さん、ひろさちやさんの
「死を見つめて生きる」の紹介 6回目です。



出版社の紹介には


「よりよい人生をおくるためにいま「生・老・病・死」を見直す。現代を生き
る人たちの死生観のあり方、残された時間を大切に過ごす生き方への提言。」

 
とあります。




本日紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「今、わたしたちは欲望の奴隷、会社の奴隷、国家の奴隷。奴隷が恩着せが
  ましく主人から慰めや癒しをほしがっているというのが今の日本の状況」


・「今は『癒やしてほしい』連呼の時代。自分は何もせずに『助けてくれ』
と叫んでいるのみ。自分が感動するのは主体的な行為から」


・「『歴史は一人一人の死と大量死の繰り返し』-その歴史を貫いていたのが
この世の無常観であり人生を諦めるという態度が生まれたのだったと思う」


・「ともに生きることが大事ならともに死ぬことも必要(悲哀の感覚の喪失こ
  そ今の課題ではないか?=ハマコウ)。『ともに生きる』より『ともに生
き、ともに死ぬ』」




もう一つ、再掲載になりますが、
「基礎基本とは」①を載せます。
基礎基本こそ大切だとわたしは思うのですが、
「個に合わせて」ばかり‥


一昨日、近くの田んぼにコウノトリがいました。
以前は、1羽のみ時々見たのですが、今回は2羽。
どちらも雄のようですが。
大きいですね。
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<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆「死を見つめて生きる」山折哲雄・ひろさちや ビジネス社 2002年 ⑥

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◇支えを失って漂流する日本人の魂(1)

<癒しを求めるこころの卑しさ(2)>
  
□慰めや癒しに目を向けてはならない-ひろさちや
  科学 = ものを分ける「分科学」
歳をとって歯が悪くなるのは当然
→年寄りが歯を治療してしまう
→胃腸を悪くする年寄りの増加
「科学はすべて細分して研究しているから人間全体のことはあまり知ら
   ない」状態

◎今、わたしたちは欲望の奴隷、会社の奴隷、国家の奴隷

≪奴隷が恩着せがましく主人から慰めや癒しをほしがっているというのが
    今の日本の状況≫



□一人称意識が失われた時代-山折哲雄
今「癒やしてほしい」連呼の時代

◎自分は何もせずに「助けてくれ」と叫んでいるのみ
  感動
         ~ 自分から
自分が感動するのは主体的な行為
    


□日本人の無自覚な無神論-山折哲雄
近代 = 神ごろしの時代
ドストエフスキー「神がなければすべては許される」

◎近代文明の発達 = 宗教否定のプロセス
ニーチェ、サルトルの自覚的な無神論者
◎日本人  
     伝統的な八百万の神々まで殺そうとしてきた



□「癒やされたい」という人には生命力が感じられない-山折哲雄
日本人「心の中が乾きに乾いている 空洞化して何もない」状態

◎本当は自分の生命力で脱出口を見つめるべき

◎湧き出る生命力の枯渇



□人生の悲哀を実感できない日本人-山折哲雄
一人一人の死と大量死
◎「歴史は一人一人の死と大量死の繰り返し」
その歴史を貫いていたのがこの世の無常観であり人生を諦
       めるという態度が生まれたのだったと思う



□ともに生きることが大事ならともに死ぬことも必要-山折哲雄
「諦める」
     - ものの理を明らかにする意味も含んでいる

深い悲哀の感情があってはじめて見えてくるもの
◎ 悲哀の感情が深まったときに、人間の心の痛みに対する感覚が
    研ぎ澄まされる
            ↓ 
◎ 哀しみを知らない人間は、どうしても他人の心の痛みを理解で
    きない人間
  凶悪事件の続発は結局我々が深い悲しみを忘れてしまったから…

◎ 人生がいかに悲哀に満ちたものであるかを今日の若者は誰から
    も教えられていないのではないか?
     社会の仕組みもそうなっているのではないか 

◎ ところが誰も心の中では他人とつながりたいと思っている
  心の中でにまでは踏み込んでいきたくはないけれども、つなが
    りたいとは思っている。つまり、その結果、非常に表層的な人間
    関係を求めることになる

◎ 悲哀の感覚の喪失
「ともに生きる」より「ともに生き、ともに死ぬ」



□「共生、共生」は「生きたい、生きたい」エゴイズムの大合唱でしかない。
 一匹の羊を救うために九十九匹を捨てるのか - ひろさちや
マタイとルカの解釈の違い








☆基礎基本とは ①(前半)-基礎基本と学ぶ意欲 安彦忠彦(名大)「総合教育技術」2001.9【再掲載 2015.6】
 
◇「基礎基本」の概念(安彦)
  「基礎」とは「人間としての基礎」

①「読み・書き・計算」の「技能」
    ②「人間(道徳)感覚」「自然感覚」「社会感覚」の「感覚」

「小学校3~4年生までのもの」


  人間独自の文化的内容
  = 教科や道徳・特活などの枠を超えるもの

  ×「教科の基礎基本」

  「基本」とは「教科の基本」などとも言える「概念」と「方法」
  「基礎」を使って身に付けるもの
「概念」
      ~ 理論的なもので科学的な「方法」による観察実験         
         記録などによって裏付けられたもの

  ◎ 「基礎」とは「基本」を学ぶ中で使われることにより,教化されたり
   修正されたりする 
    = 相互作用



◇「目標になる能力に応じた指導法・カリキュラム」による教え方
  「基礎」 
    ①技能  
      ・「読み書き」は「小3~4年生」の漢字・ひらがな・カタカナの
       合計500~600字
・「計算」は4桁の数の四則計算

        徹底的に習熟させる必要がある
②感覚 「人間感覚」 = 「人間は皆平等である」
「自然感覚」
       =「自然は人間の力を超えた原理や法則によって現象しており,
         間違うと取り返しがつかないことがある」
「社会感覚」
       =「社会は人間の手でいくらでも良いものにしていける」
     ∥
        繰り返し・反復練習

  「基本」  
    各教科,道徳,特別活動のそれぞれについて主要な「概念」とそれを導
   く「方法」を選び出し,それぞれの重みを吟味するとよい。
   「概念」
       - 徹底した「理解」のため「討論」
    「方法」
       - 徹底した「適用」のため「経験・体験」

  基礎を多く使う



□基礎基本
  もとになるもの・中心となるもの
     |
    子供の現在及び将来の活動の元となり,その可能性を高めるもの
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