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「キャンプ&野外生活ワンダーランド」  神谷明宏 柴田俊明 いかだ社 1998年 ① /「思春期の心を開く力」 八ツ塚実 朱鷺出版 1990年 【再掲載 2011.6】 [読書記録 教育]

今回は、神谷明宏さん、柴田俊明さんの
「キャンプ&野外生活ワンダーランド」の紹介 1回目です。



出版社の紹介には


「一人でキャンプに行っても困らないよう、野外で生活するための基本的な装
 備、技術を絵解きで分かりやすく解説。後半は、キャンプリーダーのための
 組織キャンプの準備と運営のポイントを収録。」

 
とあります。



要約を読み直すうちに、
毎年のように林間学校の引率に行っていた頃を思い出しました。




もう一つ、幾たびかの再掲載になりますが、わたしが大好きな本、
八ツ塚実さんの「思春期の心を開く力」を載せます。
何年かおきに本棚にあるこの本を読みますが、
その度に自分が恥ずかしくなります。
同時に、教職はいいなあと元気をもらいます。


<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。




☆『キャンプ&野外生活ワンダーランド』  神谷明宏 柴田俊明 いかだ社 1998年 ①

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◇持ち物表(個人用)をつくつておこう  ~準備もキヤンフのプログラム~

 キャンプはともすると、現地の活動ばかりにスポットがあたりがち。


 でも、したくや後かたづけなども大切な触発の機会だ。特に自分の持ち物を
自分自身で哲理する習慣つくりは、整理整とんや工夫、先を読んだ準備ができ、
それが自立心やゆとりを生れ安全な行動をとることにつながる。


 そのためには、こんな事前指導をするとよい。

  a.個人の持ち物は、必ず班名や名前を書きましょう。

  b.できるだけ、ふだん使っているものを工夫して利用しましょう。

  c.衣類・寝具・マッチ等はビニール袋に入れ、水ぬれや汚れを防ぎましょ
  う。

  d.小さな物は、小物袋に整理して入れると便利です。
  持ち物はすべてザックにまとめて入れ、両手をあけるようにしましょう。

  e. 貸し切り観光バス移動の時は、お弁当や水筒・タオル・しおりなど車中
  で必要なもの、また雨具など現地ですぐに使う可能性のあるものを、小さ
なザックに入れて乗車するようにあらかじめ指導しておくとよいでしょう。

 f . ザックには自分で荷物をつめるようにし、どこに何が入っているか覚え
  ておきます。自分で必要なものがとりだせたり、帰る時に自分で支度がで
きるよう練習しておきましょう。



※一般的なキャンプの個人装備のめやすは、つぎの表の通りです。

 ぼうし  防寒着  防風着  シャツのかえ  ズボンのかえ  
下着のかえ  靴下のかえ  ねまき(トレーニングウェアでも)
雨具(おりたたみ傘,レインコートやボンチョ) タオル ハンカチ 
ちり紙 ビニール袋(着がえやゴミいれ)ナッフザックまたはデイパック     
懐中電灯(電池、電球の予備) 水筒 マッチ 軍手(木綿のもの)
古新聞(朝刊1冊分程度) 筆記用具 キャンプのしおり  常備葉  
健康保険証        










☆「思春期の心を開く力」 八ツ塚実 朱鷺出版 1990年 【再掲載 2011.6】

[出版社の案内]
心は堅く閉ざされ、さまざまな問題が噴出するかのようにみえる時。思春期の
ただ中にある子どもを見守るこころ、人間教育の場としての家庭の役割を説く。

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<一部略>

◇子どもの心を開く力

□「どう生きる科」「なぜ学ぶ科」

 佐高信著『親と子と教師への手紙』(現代教養文庫)を読んでいたら、「どう
生きる科」「なぜ学ぶ科」という章に出会った。


 この言葉は、私の造語なので、オヤッと思った。読み進むと、それは私の仕
事について書いてくださっていることがわかった。


 自分で自分自身のことを書くのは気がひけるので、それを引用させていただ
くことにする。 


 その後で、この仕事が、一人の少年を見事に花聞かせた実例を紹介しよう。




 言うまでもなく、教育とは「いのち」との関わりである。


 そう考える時、私はいつも、あるテレビコマーシャルを思い出す。


 夕暮れの京都の街を、一匹の小犬が歩いていく。


 人混みの中や川っぶちをちょっと立ちどまったり、雨に打たれながら精いっ
ぱい走ったりして……。


 そこへナレーションが入る。


「いろんな命が生きているんだなあ。元気で、とりあえず元気で。みんな元気
 で」


 憶えている方も多いだろうサントリーの「トリス・雨と小犬」のコマーシャ
ルである。制作者は仲畑貴志。


 生へのいとおしみに充ちたこのコマーシャルをつくった仲畑は京都市立洛陽
工高時代、「夜ごと黒の上下に黒のネクタイを蹄め黒のサングラスをかけて河
原町、木屋町あたりをねり歩く」(『ビッグ・サクセス』1983年12月号)大変なツッ
パリだった。


 あの、かわいい小犬のコマーシャルをつくったのが、手のつけられない落ち
こぼれだったとは、誰が想像できるだろうか。


 教育とは、まず、生徒の「生へのエネルギー」に注目することだということ
を、私は『たいまつ』新聞主幹のむのたけじ氏に教えられた。


 私が山形県の庄内農高で教師をしていた頃だから、いまから20年ほど前、
講演会の講師として来てもらったむの氏と一緒に廊下を歩いていた私は、3、
4人の生徒がダダッと、前を走って行ったので赤面した。


「不作法な」


と叱ろうとしたら、自然な感じで、むのが、


「元気があっていいですね」


と、にこやかに言った。


 その言葉に、私はハッとなった。


 御多分にもれず、私も教職1、2年目にして、最も多く発する言葉が、

「うるさい、静かにしろ」

という教師になっていたからである。


 しかし、考えてみれば、伸びざかりの生徒たちが何十人、何百人といるのに
「静かな教室」「静かな学校」ほど不気味なものもないだろう。


 生徒たちのもつ野放図とも言える若さに対しては、教師たちも、当然、それ
に拮抗する生のエネルギーをぶつけていかなければならない。


 広島の栗原中学で「どう生きる科」「なぜ学ぶ科」の「自主編成教科書」と
して「学級記録」を出しつづける八ツ塚実も、それをよく知っている熱血教師
だ。

「非行や校内暴力が起きた後では、いくら走り回っても敗戦処理にすぎない。
 その前になぜ子どもを燃えさせないのか」

と語る八ツ塚には、校内暴力にどう対処するかといった議論は、問題の本質的
な解決にはならない対症療法と映っているのではないだろうか。


「私には一日に百枚のプリントを作る力などない。でも、一日に一枚なら作れ
 る。それを百日続けることはできる」

として、八ツ塚は、「どう生きる料」「なぜ学ぶ科」の「教科書」を発行し続
けてきたのだ。


 この学級記録はワラ半紙にガリ版刷り。八ツ塚は今年もまた、「48歳の抵
抗」をつづける。


 この記録は毎年百号を超え、二百号を突破する年もある。


 知り合いの印刷屋が惚れ込んで復刻してくれたという電話帳ほどの大部の合
本から、八ツ塚の詩「家庭訪問」を引いてみよう。



 みんなが書いた地図をたよりに

 ぼくは一人 テクテク歩く

 できるだけ人にたずねないで

 一軒一軒さがしあてる

 ひどい地図もあって

 行ったり来たり

 どうしてもわからない家もある

 迷路のような山手の坂道

 重いカバンを背おって

 大きなカバンをさげて

 みんなが毎朝あるく道

 毎夕たどる道

 それと同じ道を ぼくもたどる

 一歩一歩 坂道をのぼる

 坂道をくだる

 こんな遠くから通ってくるのか

 この坂道をのぼっているのか

 通いなれたみんなの道を

 ぼくが今あるいて行く
     (後略)



「疑問ノート」「誤答ノート」、そして「発見ノート」などをつくらせ、「学級
歴史年表」をつくる。こうした八ツ塚の実践は、前掲の詩に象徴的に出ている
ように、とりたてて珍しいものではない。


 しかし、そこには生徒一人一人の生活にしつこいくらいに着目し、自分も燃
え、学びながら、「いのちの火」をかきたてる不屈のエネルギーがある。


 教育に奇手妙手はない。


 あくまでも基本を押すことだということを八ツ塚の実践ははっきり教えてい
ると言えるだろう。


「生徒を、教える対象としてでなく、一人の人間として扱う」


 生徒や親の前で平気で泣いたり笑ったり、そして、怒鳴ったりする「生きて
いる教師」八ツ塚は、ことなかれ主義の空気が充満する学校に反発するように、
こう言った。
   (後略)


□手作り教科書を通して

 私のトレードマークといえば、佐高氏に紹介していただいたように、「自主
編成の教科書」である。子どもたちの言葉と、私の言葉が文字になって躍って
いる教科書だ。  


 もちろん世界に一つしかない。


 自分たちのために作る自分たちの教科書だ。


 その教科書作りの過程で、「どう生きるか」「なぜ学ぶか」を、克明に学ん
でいく。


 自分たちで作り出し、共有している生活そのものこそ最高の教科なのであ
る。




◇「生活の記録」を通して
 ・もっと努力をしましょう。
 ・まとめにやりなさい。

 この程度の言葉の連続のために、わぎわぎノートの交流をする必要はない。
もっともっと「見通し」のある質の高いやりとりをするから、わざわざノー
トを使うのである。


 何となくやっているようなことに、中学生が釣られて乗ってくることはな
い。


 私はかつて、ある雑誌の依頼で「生活の記録・私の対話心得」を書いた。
ここに再録させていだたく。

□魅力ある対話心得
 ①君が好きだ……ということが間接的に伝わるように苦く。
  (君は……だから)
  (…しようとしている君だから)

 ②君のことが私の心の中にある…ということを、具体的な事実の中
  で伝える。
  (……している姿が忘れられない)
  (……しているのを見たよ)

 ③他の人が、君のことを感心し、ほめていたよと、そっと教える
  (先生がね…)
  (…と友だちが言ってたよ)
  (お父さんお母さんの気持ちは…)

 (途中 略)


 ⑱喜びを共有する表現。
  (ぼくも、うれしくてたまらない)
  (とうとうやったね0今こそ言おう、オメデトウと⊥     

 ⑲おとなも、みんな同じ道を通ったんだということを語りかける。
  (みんなドキドキしたんだよ)
  (誰だってアガルんだ)
  (その苦しみは、ぼくも味わったよ)
  (みんな同じ道を通って、成長していくんだよ)

 ⑳目安をはっきりさせてやる。
  (そら、目ぎす地点は目の前だ)
  (ここを乗り切ったら、あとはシメたものだ)
  (さあ、もう少しだ)



 ささやかな、たった一つの自信。それさえつかめば、どの子も自分の足で歩
いていける。


 自信を発見させ、つかませずして、何を息まいているんだろう……と、思う
ような教育の営みがある。


 まだ対面していない「新しい自分」。まだ気がついていない「本当の自分」。


 これをつかむ場面は、何もしないで待っていても、自然発生することはな
い。その場面を用意し、そこへいざなうために、親も教師も子どもの傍にい
る。


 子育ては、お父さんゴッコ、お母さんゴッコをしているのではない。


 ときどき、思いついた嫌味をぶつけたところで、子どもの心は育たない。


 学校は、教員が教員づらをするところではない。


 教員が言うから、やるから、それが無原則に、すべて教育活動として許され
るものではない。


 子どもの自信を損なうような言動のすべては、教育ではない。


「センセ、勇気づけて!」

 その日、私はたまたま夕刻遅くまで仕事をしていた。誰もいないはずの教員
室。

 私の後ろで人の気配がする。


 ふりむくと、そこにヒサヨが一人で立っている。


 そのときばかりは、ミチ子と連れだっていない。


「どうしたんだ? こんな時間に。担任の先生はもう帰られたよ。もう遅いか
ら、早く家に帰りなさい」


「いえ。今日はヤッツアン先生に用があるんです」                 


「へえエ。ぼくに?何の用事?」                


彼女は、モジモジしながら、言った。


「センセ、勇気づけて!」                          

(以下 略)
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