「死を見つめて生きる」山折哲雄・ひろさちや ビジネス社 2002年 ② / 社会科資料 ①-朝日ジュニアブック「日本の地理」 1988年 【再掲載 2015.3】 [読書記録 宗教]
今回は、7月4日に続いて山折哲雄さんの
「死を見つめて生きる」の紹介 2回目です。
出版社の紹介には
「よりよい人生をおくるためにいま「生・老・病・死」を見直す。現代を生き
る人たちの死生観のあり方、残された時間を大切に過ごす生き方への提言。」
とあります。
本日紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「御隠居さんの口から孫の教育なり、地域の教育なりで小言が出なくなった
ら、もはや隠居としての存在理由が失われたといってよい。あとは静かに
往生…」
・「なぜ老人の姿をした仏像がないのか、そのわけは、仏像が表現する仏の世
界がいわば永遠の生命を象徴しようとしているからではないか(山折哲雄)」
・「翁の思想・翁の信仰はなかなか成熟した考え方であり、日本の思想の重要
な特徴をなす。その翁を尊重する伝統的な信仰を真っ先に切り捨てようと
しているのが現代の日本人。今日では、老人は、もっぱら救済の対象、福
祉の対象とされてしまっている。弱者、切り捨てられていく存在としての
認識であるかのように。近代的思想が乾いた態度をつくりだしてしまった」
・「おろかであるべき、しかし、バカになってはいけない。今、世の中はバカ
ばかり…」
もう一つ、再掲載になりますが、
社会科資料①「朝日ジュニアブック『日本の地理』」を載せます。
平成の大合併によりずいぶん変わってしまいました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「死を見つめて生きる」山折哲雄・ひろさちや ビジネス社 2002年 ②
◇老いと病が人を成長させる(2)
□日本古来の隠者の伝統に学べ-山折哲雄
Ⅰ学生期・家住期
世俗的な生活をする時期
学問をして一人前になり、さらに家庭を持って子どもができる
↓
Ⅱ林住期
仕事がある程度軌道に乗ったとき、初めて自由な時間が持てる
=「自由時間住期」
完全には共同体や家庭から切り離されていない
勝手気ままなことをやって帰って行く
↓
Ⅲ遊行期
林住期を経て聖者の世界へ入っていく時期
西行(1118~1190)の人生 林住期の人生
家を出るには出たが、歌だけは捨てなかった
自然死のごとき断食往生
良寛(1758~1831) 芭蕉(1644~1694)も同様
∥
「御隠居」の生き方
- 日本民族の知恵
◎ 御隠居さんの口から孫の教育なり、地域の教育なりで小言が出なく
なったら、もはや隠居としての存在理由が失われたといってよい
あとは静かに往生…
□神像と仏像に見る老いの姿
なぜ老人の姿をした仏像がないのか-山折哲雄
仏像はせいぜい中年まで
<仮説>
仏像が表現する仏の世界はいわば永遠の生命を象徴しようとして
いるからではないか(山折哲雄)
私たちが住んでいる宇宙そのものが仏-ひろさちや
小乗仏教 - 仏像をつくってはならない
お釈迦様を表すのは菩提樹、仏足石、法輪
大乗仏教 - 仏像
「宇宙仏」 如来
宇宙(如)から来てくださった
如 = 真実
真実の世界から来てくださった
◎ お釈迦様は人間ではなく宇宙物のメッセンジャー、キリスト教
で言うなら受肉された存在
∥
◎ 人間の次元を超えた存在
その世界では病死もない
涅槃像の対極に我々の世界がある-山折哲雄
涅槃
~ 永遠の仏の新たな誕生を意味
老いと死を包み込んだものとするリアルな考え方
われわれの人生
苦悩や病苦に満ちたもの
老人は神の最も近いところに存在している-山折哲雄
日本の神さまは老人の姿
最古の神像
~ 京都の松尾神社 男神像
熊野速玉神社 男神像
|
神仏習合の姿
しかし、顔は老人 = 人生観の違い
万葉集の挽歌 - 死者を悼む歌
古代万葉人的世界観
「人間は歳をとって老いて死ぬことを前提とした信仰」
|
神に最も近いのが老人 → 神像
道教 しかし、道教の仙人思想とは異なる
仙人には死という契機が非常に弱い
不老不死の世界が目標
◎ 翁の思想・翁の信仰はなかなか成熟した考え方であり、日本の思
想の重要な特徴をなす
↑
※ その翁を尊重する伝統的な信仰を真っ先に切り捨てようとしてい
るのが現代の日本人
今日では、老人は、もっぱら救済の対象、福祉の対象とされてし
まっている
= 弱者、切り捨てられていく存在としての認識
↑
◎ 近代的思想が乾いた態度をつくりだしてしまった
「出世間の知恵」を象徴している日本の神像-ひろさちや
涅槃像
- 「方便としての死」
仏教の教えとしての死
お年寄りの知恵
「出世間の知恵」
= 世間離れした知恵(老いの知恵)
仏教の教えは「であいの精神」
「で」 でたらめ
= この世のものさしは通じない
努力しても駄目な人 努力しないで成功する人
「あ」 諦め
「い」 いい加減
おろかであるべき、しかし、バカになってはいけない
今世の中はバカばかり
☆社会科資料 ①-朝日ジュニアブック「日本の地理」 1988年 【再掲載 2015.3】
◇日本三大あれこれ
□三大急流
最上川
富士川
球磨川
□三大美林
秋田杉
木曽檜
吉野杉
□三名山
富士山(静岡・山梨)
立山(富山)
白山(岐阜・石川・福井)
□三大曳山
京都祇園祭(京都)
飛騨高山祭(岐阜)
秩父夜祭(埼玉)
□三大河川
利根川(板東太郎)
筑後川(筑紫次郎)
吉野川(四国三郎)
□三大三景
松島(宮城)
天橋立(京都)
厳島(広島)
□三大七夕
仙台七夕(宮城)
平塚七夕(神奈川)
安城七夕(愛知)
□三大山城
岩村城(岐阜)
高取城(奈良)
松山城(岡山)
□古代の三関
伊勢・鈴鹿の関
美濃・不破の関
越前・愛発(あらち)の関
□三大公園
後楽園(岡山)
偕楽園(茨城)
兼六園(石川)
□三奇橋
猿橋(山梨)
蔓橋(徳島)
錦帯橋(山口)
□三大稲荷
豊川稲荷(愛知)
祐徳稲荷(佐賀)
竹駒稲荷(宮城)
◇日本一あれこれ
□高低
静岡市3141メートル(荒川岳・赤石山脈) ←→ 〇メートル
□雨量
雨の多い町 尾鷲市 年間降雨量 4000mm以上
1954年 6174.5mm
□晴れの多い町
明野村(山梨)年間2500時間
東大宇宙線研究所在
□人口の多少
多い村 豊見城村 40376人 1987年
少ない村 富山村 207人 1987年
□面積
大きい村 十津川村 669.77平方キロメートル
小さい村 鵜殿村(三重) 3.11平方キロメートル
「死を見つめて生きる」の紹介 2回目です。
出版社の紹介には
「よりよい人生をおくるためにいま「生・老・病・死」を見直す。現代を生き
る人たちの死生観のあり方、残された時間を大切に過ごす生き方への提言。」
とあります。
本日紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「御隠居さんの口から孫の教育なり、地域の教育なりで小言が出なくなった
ら、もはや隠居としての存在理由が失われたといってよい。あとは静かに
往生…」
・「なぜ老人の姿をした仏像がないのか、そのわけは、仏像が表現する仏の世
界がいわば永遠の生命を象徴しようとしているからではないか(山折哲雄)」
・「翁の思想・翁の信仰はなかなか成熟した考え方であり、日本の思想の重要
な特徴をなす。その翁を尊重する伝統的な信仰を真っ先に切り捨てようと
しているのが現代の日本人。今日では、老人は、もっぱら救済の対象、福
祉の対象とされてしまっている。弱者、切り捨てられていく存在としての
認識であるかのように。近代的思想が乾いた態度をつくりだしてしまった」
・「おろかであるべき、しかし、バカになってはいけない。今、世の中はバカ
ばかり…」
もう一つ、再掲載になりますが、
社会科資料①「朝日ジュニアブック『日本の地理』」を載せます。
平成の大合併によりずいぶん変わってしまいました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「死を見つめて生きる」山折哲雄・ひろさちや ビジネス社 2002年 ②
◇老いと病が人を成長させる(2)
□日本古来の隠者の伝統に学べ-山折哲雄
Ⅰ学生期・家住期
世俗的な生活をする時期
学問をして一人前になり、さらに家庭を持って子どもができる
↓
Ⅱ林住期
仕事がある程度軌道に乗ったとき、初めて自由な時間が持てる
=「自由時間住期」
完全には共同体や家庭から切り離されていない
勝手気ままなことをやって帰って行く
↓
Ⅲ遊行期
林住期を経て聖者の世界へ入っていく時期
西行(1118~1190)の人生 林住期の人生
家を出るには出たが、歌だけは捨てなかった
自然死のごとき断食往生
良寛(1758~1831) 芭蕉(1644~1694)も同様
∥
「御隠居」の生き方
- 日本民族の知恵
◎ 御隠居さんの口から孫の教育なり、地域の教育なりで小言が出なく
なったら、もはや隠居としての存在理由が失われたといってよい
あとは静かに往生…
□神像と仏像に見る老いの姿
なぜ老人の姿をした仏像がないのか-山折哲雄
仏像はせいぜい中年まで
<仮説>
仏像が表現する仏の世界はいわば永遠の生命を象徴しようとして
いるからではないか(山折哲雄)
私たちが住んでいる宇宙そのものが仏-ひろさちや
小乗仏教 - 仏像をつくってはならない
お釈迦様を表すのは菩提樹、仏足石、法輪
大乗仏教 - 仏像
「宇宙仏」 如来
宇宙(如)から来てくださった
如 = 真実
真実の世界から来てくださった
◎ お釈迦様は人間ではなく宇宙物のメッセンジャー、キリスト教
で言うなら受肉された存在
∥
◎ 人間の次元を超えた存在
その世界では病死もない
涅槃像の対極に我々の世界がある-山折哲雄
涅槃
~ 永遠の仏の新たな誕生を意味
老いと死を包み込んだものとするリアルな考え方
われわれの人生
苦悩や病苦に満ちたもの
老人は神の最も近いところに存在している-山折哲雄
日本の神さまは老人の姿
最古の神像
~ 京都の松尾神社 男神像
熊野速玉神社 男神像
|
神仏習合の姿
しかし、顔は老人 = 人生観の違い
万葉集の挽歌 - 死者を悼む歌
古代万葉人的世界観
「人間は歳をとって老いて死ぬことを前提とした信仰」
|
神に最も近いのが老人 → 神像
道教 しかし、道教の仙人思想とは異なる
仙人には死という契機が非常に弱い
不老不死の世界が目標
◎ 翁の思想・翁の信仰はなかなか成熟した考え方であり、日本の思
想の重要な特徴をなす
↑
※ その翁を尊重する伝統的な信仰を真っ先に切り捨てようとしてい
るのが現代の日本人
今日では、老人は、もっぱら救済の対象、福祉の対象とされてし
まっている
= 弱者、切り捨てられていく存在としての認識
↑
◎ 近代的思想が乾いた態度をつくりだしてしまった
「出世間の知恵」を象徴している日本の神像-ひろさちや
涅槃像
- 「方便としての死」
仏教の教えとしての死
お年寄りの知恵
「出世間の知恵」
= 世間離れした知恵(老いの知恵)
仏教の教えは「であいの精神」
「で」 でたらめ
= この世のものさしは通じない
努力しても駄目な人 努力しないで成功する人
「あ」 諦め
「い」 いい加減
おろかであるべき、しかし、バカになってはいけない
今世の中はバカばかり
☆社会科資料 ①-朝日ジュニアブック「日本の地理」 1988年 【再掲載 2015.3】
◇日本三大あれこれ
□三大急流
最上川
富士川
球磨川
□三大美林
秋田杉
木曽檜
吉野杉
□三名山
富士山(静岡・山梨)
立山(富山)
白山(岐阜・石川・福井)
□三大曳山
京都祇園祭(京都)
飛騨高山祭(岐阜)
秩父夜祭(埼玉)
□三大河川
利根川(板東太郎)
筑後川(筑紫次郎)
吉野川(四国三郎)
□三大三景
松島(宮城)
天橋立(京都)
厳島(広島)
□三大七夕
仙台七夕(宮城)
平塚七夕(神奈川)
安城七夕(愛知)
□三大山城
岩村城(岐阜)
高取城(奈良)
松山城(岡山)
□古代の三関
伊勢・鈴鹿の関
美濃・不破の関
越前・愛発(あらち)の関
□三大公園
後楽園(岡山)
偕楽園(茨城)
兼六園(石川)
□三奇橋
猿橋(山梨)
蔓橋(徳島)
錦帯橋(山口)
□三大稲荷
豊川稲荷(愛知)
祐徳稲荷(佐賀)
竹駒稲荷(宮城)
◇日本一あれこれ
□高低
静岡市3141メートル(荒川岳・赤石山脈) ←→ 〇メートル
□雨量
雨の多い町 尾鷲市 年間降雨量 4000mm以上
1954年 6174.5mm
□晴れの多い町
明野村(山梨)年間2500時間
東大宇宙線研究所在
□人口の多少
多い村 豊見城村 40376人 1987年
少ない村 富山村 207人 1987年
□面積
大きい村 十津川村 669.77平方キロメートル
小さい村 鵜殿村(三重) 3.11平方キロメートル