キーワード 読書について41-「児童文学の世界」西本鶏介 偕成社 1988年 (2) /「宮本常一著作集43 自然と日本人」 未来社 2003年 ⑦【再掲載 2013.9 [読書記録 教育]
今回は、7月21日に続いて、
「キーワード 読書について」41回目、
西本鶏介さんの「児童文学の世界」2回目の紹介です。
出版社の案内には、
「代表的な児童文学作品200点の案内を中心に、児童文学論、児童文学の歴
史、選び方・与え方、基本用語の解説、そして創作入門まで、児童文学に関
する基本的事項をわかりやすく編集した画期的な入門講座。学生、先生、図
書館員などに必携、必読の本。読んで楽しく、すぐ役にたつ新しい感覚のガ
イドブックです。」
とあります。
本を読みたい気持ちにさせてくれました。
もう一つ、再掲載になりますが、
「宮本常一著作集43 自然と日本人」⑦を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード 読書について41-「児童文学の世界」西本鶏介 偕成社 1988年 (2)
◇世界の児童文学の歴史 (原昌)
□はじまり 西欧17~18世紀
18世紀以前
未分離
「イソップ寓話集」(ギリシャ 紀元前6~7世紀)
ラ・フォンテーヌ「寓話集」(フランス1668年)
「アラビアンナイト」(アラビア6世紀)
「ロビンフット」(イギリス16世紀)
「ドン・キホーテ」(スペイン1605)
17世紀 イタリア・バレージ フランス・ペロー
→ 大人文学からの分離
1697年 「昔話或いは小話集」(フランス・ペロー)
眠りの森の美女,シンデレラ
18世紀 児童文学の分離
デフォー「ロビンソンクルーソー」
スイフト「ガリバー旅行記」
ニューベリー(イギリス)
1745年 ロンドンに児童図書出版社
「かわいいポケットブック」1744年
「くつ二つ物語」
ヴィッセ(ドイツ)「子どものとも」1782年
ノヴィコフ(ロシア)「心と知恵のための児童読物」1785年
◎18世紀は児童文学開花の時代
19世紀 18~19世紀半ば 教訓主義的
19世紀後半 領域を広げる
19世紀前半
トリマー夫人(イギリス)エッジワース(イギリス)
デイ(イギリス)シャリンヌ夫人(フランス)
シュミット(ドイツ)
19世紀後半 グリム兄弟(ドイツ)昔話の再話化
「グリム童話」単純でおもしろく最低限のモラル
- 北欧,英米,ロシア伝承物語の再話化
アンデルセン(デンマーク)
1835年「子供のための童話集」
近代童話
アンデルセン
→ 自己表現の場
童話形式 愛と死と神,罪と罰と救済
19世紀後半 ファンタジー
キャロル「不思議の国のアリス」1865年
|
イギリスではファンタジーが文学の本流
グレアム「楽しい川辺」1908年
ミルン「くまのプーさん」1926年
トラヴァース「風に乗ってきたメアリーポピンズ」1934
ルイス「ライオンと魔女」
近代小説
オルコット「若草物語」(アメリカ 1868)
ベルヌ「海底二万マイル」(フランス 1870)
ヴィーダ「フランダースの犬」(イギリス 1872)
マークトゥエイン「トムソーヤの冒険」(米 1876)
空想型物語
コッローティー「ピノッキオの冒険」(イタリア 1883)
ワイルド「幸福の王子」(イギリス 1888)
ノンフィクション
ファーブル「昆虫記」(フランス 1879-1907)
20世紀 各ジャンルが深まり充実
ファンタジー
ネズビット「砂の妖精」(イギリス 1902)
ピアス「トムは真夜中の庭で」(1958)
冒険小説
ランサム「ツバメ号とアマゾン号」(イギリス 1930)
歴史小説
サトクリフ「太陽の戦士」(イギリス 1958)
↓
◎ 多様化・いろいろな国に
1956年 <国際アンデルセン賞>
リンドグレーン(スゥエーデン)ケストナー(ドイツ)
ヤンソン(フィンランド)ピアス(イギリス)
1966年~<国際アンデルセン賞・絵本部門>
安野光雅 赤羽末吉
☆「宮本常一著作集43 自然と日本人」 未来社 2003年 ⑦【再掲載 2013.9】
◇照葉樹の森
日本では造林すると言えばほとんど杉である。
そして日本の山々は杉でおおわれようとしている。それはそれなりにすばら
しいことだと思う。
かつて京都から近江湖西の朽木町までいったことがあるが、大原をすぎると
杉の林の中をゆく。延々としてそれが滋賀県葛川付近まで続く。
いわゆる北山杉の林で、大きな木の立っているところもあれば若木のところ
もある。
途中でいくつかの村をすぎるが、家は昔のままの古風なおもかげをとどめて
いるものが多い。
貧しいからそうなのではなく、ゆたかだから新風を追わないのである。
みんなが落ちついて住んでいる。
自然と人生が実によく調和のとれたところである。
葛川の近くになると川では多くの人びとがアユを釣っていた。
人工造林された杉山はさびしいものである。
どこまでいっても杉が山をおおっている。
小鳥の鳴くことも少ない。
しかし、それはそれなりに一つの風景を形成しているのであるが、変化がと
ぼしい。
森に変化をつけてみてはどうかと思う。
もともと日本は照葉樹林地帯に属しているのであるから、照葉樹が多かった
はずである。
瀬戸内海から南の神社の森は、樺・椎などの照葉樹でおおわれているものが
少なくない。
それは古い森相のおもかげをとどめているものであろう。このような照葉樹
の森もあってよいのではないかと思う。
そのことで思いおこされるのは明治神宮の森である。
この森は照葉樹でおおわれている。
この社は大正9年(1920)に完成したが、全国の人びとの奉仕によって
できた。
そしてその森も全国からの献木によって形をととのえた。
まだ私が小学校の4年生か5年生くらいのときであった。
明治神宮への献木にするので、青年団員が山へヒサカキを掘り取りにいった
ことがある。
私もそれについて見にいった。
私の郷里の山は松が茂っているが、その下にヒサカキが多い。
これは雑木として薪にしていたものである。
それをていねいに掘り取って、根の土をおとさぬようにし、筵で包んで、か
ついで山を下って来た。
そしてお宮で神主にお祓いをしてもらった。
この木が東京へいって明治神宮の森へ植えられるのだなと、子供心に感慨深
いものがあった。
大正15年はじめて東京へ出たとき、私はその木のことが心にあったので明
治神宮へまいったことがあった。
その頃は森の木はまだそれほど大きくはなかったが、どの木もみなおなじよ
うな大きさであり、それが広い神域をおおっているのであるが、その木々の下
に、ヒサカキのようにたいして太陽光線を必要としない木が植えられていて、
そのため、うっそうとした感じになっているのである。
私の郷里から献木したものはこの森の下草として、生きつづけているのだろ
うと思った。
その後、明治神宮へは時折まいる。
この森が好きだからである。
とくに秋がよい。
森はうっそうとしているのだが、いろいろの小鳥が鳴いているので暗さがな
い。
この森には小鳥の餌になる実が多いのであろう。
境内の菖蒲園のあたりは大正の植林ではなくて、古くから茂っていたもので
木が大きい。
そこの池には秋になると小嶋がたくさん来て浮かんでいる。
私は木の下のベンチで、長いあいだ小鳥の声をたのしんだことがあったが、
とにかくこの森はすばらしい。
東京にこんなところがあるのかと思う。
こういう森が大きな町の近くに一つ二つずつはあってよいのではないかと思
う。
町に住む人たちは静かに物を考える場所と時を忘れている者が少なくない。
そういう人のためにもこうした森は必要ではないかと思う。
そしてしかも、西日本は今その時期を与えられているのではないかと思う。
山陽地方から瀬戸内海の島々へかけて、山地の松は松くい虫のためにほとん
ど枯れた。
枯れてもそれを伐る人すらいない。
立枯れのままになってみにくい風景をさらしていたのであるが、松が枯れる
と下草が茂りはじめた。
その下草の多くは照葉樹である。
そしてその中には大木になるものも多数交じっているようである。
だからある地区はできるだけ手を加えないで、立枯れた松を伐り倒すくらい
にして、ずっと昔の照葉樹の森に戻してみてはどうだろう。
そうすれば小鳥もまたやって来るようになるであろうし、風景にも変化が出
てくるのではないかと思う。
新幹線の広島駅の北に照葉樹のよく茂った山がある。
この山は戦前までは松が多かったように思う。
今は松はほとんどない。
私はその山の中を4、5年まえに歩いて見たことがあるが、木はそれほど大
きくない。
だから戦後、茂りはじめたものであろう。
実にこんもりとしていて新しい風景を作り出している。
そのうえ照葉樹はコンクリートの四角い建物とも調和する。
都市の周辺などには、造林に対してもこのような配慮があっていいのではな
いかと思う。
実用ばかり考えるのでなく、もっと遊びもあってよいのではなかろうか。
そしてそれが人の多く住んでいる地域にあるやわらぎを与えるとするならば、
市民にとっては一つの財産になってくる。
しかも木は育つものである。
小さい木が大きくなる。
大きくなればなるほど、われわれに与える迫力も大きくなってくるもの
である。
「キーワード 読書について」41回目、
西本鶏介さんの「児童文学の世界」2回目の紹介です。
出版社の案内には、
「代表的な児童文学作品200点の案内を中心に、児童文学論、児童文学の歴
史、選び方・与え方、基本用語の解説、そして創作入門まで、児童文学に関
する基本的事項をわかりやすく編集した画期的な入門講座。学生、先生、図
書館員などに必携、必読の本。読んで楽しく、すぐ役にたつ新しい感覚のガ
イドブックです。」
とあります。
本を読みたい気持ちにさせてくれました。
もう一つ、再掲載になりますが、
「宮本常一著作集43 自然と日本人」⑦を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード 読書について41-「児童文学の世界」西本鶏介 偕成社 1988年 (2)
◇世界の児童文学の歴史 (原昌)
□はじまり 西欧17~18世紀
18世紀以前
未分離
「イソップ寓話集」(ギリシャ 紀元前6~7世紀)
ラ・フォンテーヌ「寓話集」(フランス1668年)
「アラビアンナイト」(アラビア6世紀)
「ロビンフット」(イギリス16世紀)
「ドン・キホーテ」(スペイン1605)
17世紀 イタリア・バレージ フランス・ペロー
→ 大人文学からの分離
1697年 「昔話或いは小話集」(フランス・ペロー)
眠りの森の美女,シンデレラ
18世紀 児童文学の分離
デフォー「ロビンソンクルーソー」
スイフト「ガリバー旅行記」
ニューベリー(イギリス)
1745年 ロンドンに児童図書出版社
「かわいいポケットブック」1744年
「くつ二つ物語」
ヴィッセ(ドイツ)「子どものとも」1782年
ノヴィコフ(ロシア)「心と知恵のための児童読物」1785年
◎18世紀は児童文学開花の時代
19世紀 18~19世紀半ば 教訓主義的
19世紀後半 領域を広げる
19世紀前半
トリマー夫人(イギリス)エッジワース(イギリス)
デイ(イギリス)シャリンヌ夫人(フランス)
シュミット(ドイツ)
19世紀後半 グリム兄弟(ドイツ)昔話の再話化
「グリム童話」単純でおもしろく最低限のモラル
- 北欧,英米,ロシア伝承物語の再話化
アンデルセン(デンマーク)
1835年「子供のための童話集」
近代童話
アンデルセン
→ 自己表現の場
童話形式 愛と死と神,罪と罰と救済
19世紀後半 ファンタジー
キャロル「不思議の国のアリス」1865年
|
イギリスではファンタジーが文学の本流
グレアム「楽しい川辺」1908年
ミルン「くまのプーさん」1926年
トラヴァース「風に乗ってきたメアリーポピンズ」1934
ルイス「ライオンと魔女」
近代小説
オルコット「若草物語」(アメリカ 1868)
ベルヌ「海底二万マイル」(フランス 1870)
ヴィーダ「フランダースの犬」(イギリス 1872)
マークトゥエイン「トムソーヤの冒険」(米 1876)
空想型物語
コッローティー「ピノッキオの冒険」(イタリア 1883)
ワイルド「幸福の王子」(イギリス 1888)
ノンフィクション
ファーブル「昆虫記」(フランス 1879-1907)
20世紀 各ジャンルが深まり充実
ファンタジー
ネズビット「砂の妖精」(イギリス 1902)
ピアス「トムは真夜中の庭で」(1958)
冒険小説
ランサム「ツバメ号とアマゾン号」(イギリス 1930)
歴史小説
サトクリフ「太陽の戦士」(イギリス 1958)
↓
◎ 多様化・いろいろな国に
1956年 <国際アンデルセン賞>
リンドグレーン(スゥエーデン)ケストナー(ドイツ)
ヤンソン(フィンランド)ピアス(イギリス)
1966年~<国際アンデルセン賞・絵本部門>
安野光雅 赤羽末吉
☆「宮本常一著作集43 自然と日本人」 未来社 2003年 ⑦【再掲載 2013.9】
◇照葉樹の森
日本では造林すると言えばほとんど杉である。
そして日本の山々は杉でおおわれようとしている。それはそれなりにすばら
しいことだと思う。
かつて京都から近江湖西の朽木町までいったことがあるが、大原をすぎると
杉の林の中をゆく。延々としてそれが滋賀県葛川付近まで続く。
いわゆる北山杉の林で、大きな木の立っているところもあれば若木のところ
もある。
途中でいくつかの村をすぎるが、家は昔のままの古風なおもかげをとどめて
いるものが多い。
貧しいからそうなのではなく、ゆたかだから新風を追わないのである。
みんなが落ちついて住んでいる。
自然と人生が実によく調和のとれたところである。
葛川の近くになると川では多くの人びとがアユを釣っていた。
人工造林された杉山はさびしいものである。
どこまでいっても杉が山をおおっている。
小鳥の鳴くことも少ない。
しかし、それはそれなりに一つの風景を形成しているのであるが、変化がと
ぼしい。
森に変化をつけてみてはどうかと思う。
もともと日本は照葉樹林地帯に属しているのであるから、照葉樹が多かった
はずである。
瀬戸内海から南の神社の森は、樺・椎などの照葉樹でおおわれているものが
少なくない。
それは古い森相のおもかげをとどめているものであろう。このような照葉樹
の森もあってよいのではないかと思う。
そのことで思いおこされるのは明治神宮の森である。
この森は照葉樹でおおわれている。
この社は大正9年(1920)に完成したが、全国の人びとの奉仕によって
できた。
そしてその森も全国からの献木によって形をととのえた。
まだ私が小学校の4年生か5年生くらいのときであった。
明治神宮への献木にするので、青年団員が山へヒサカキを掘り取りにいった
ことがある。
私もそれについて見にいった。
私の郷里の山は松が茂っているが、その下にヒサカキが多い。
これは雑木として薪にしていたものである。
それをていねいに掘り取って、根の土をおとさぬようにし、筵で包んで、か
ついで山を下って来た。
そしてお宮で神主にお祓いをしてもらった。
この木が東京へいって明治神宮の森へ植えられるのだなと、子供心に感慨深
いものがあった。
大正15年はじめて東京へ出たとき、私はその木のことが心にあったので明
治神宮へまいったことがあった。
その頃は森の木はまだそれほど大きくはなかったが、どの木もみなおなじよ
うな大きさであり、それが広い神域をおおっているのであるが、その木々の下
に、ヒサカキのようにたいして太陽光線を必要としない木が植えられていて、
そのため、うっそうとした感じになっているのである。
私の郷里から献木したものはこの森の下草として、生きつづけているのだろ
うと思った。
その後、明治神宮へは時折まいる。
この森が好きだからである。
とくに秋がよい。
森はうっそうとしているのだが、いろいろの小鳥が鳴いているので暗さがな
い。
この森には小鳥の餌になる実が多いのであろう。
境内の菖蒲園のあたりは大正の植林ではなくて、古くから茂っていたもので
木が大きい。
そこの池には秋になると小嶋がたくさん来て浮かんでいる。
私は木の下のベンチで、長いあいだ小鳥の声をたのしんだことがあったが、
とにかくこの森はすばらしい。
東京にこんなところがあるのかと思う。
こういう森が大きな町の近くに一つ二つずつはあってよいのではないかと思
う。
町に住む人たちは静かに物を考える場所と時を忘れている者が少なくない。
そういう人のためにもこうした森は必要ではないかと思う。
そしてしかも、西日本は今その時期を与えられているのではないかと思う。
山陽地方から瀬戸内海の島々へかけて、山地の松は松くい虫のためにほとん
ど枯れた。
枯れてもそれを伐る人すらいない。
立枯れのままになってみにくい風景をさらしていたのであるが、松が枯れる
と下草が茂りはじめた。
その下草の多くは照葉樹である。
そしてその中には大木になるものも多数交じっているようである。
だからある地区はできるだけ手を加えないで、立枯れた松を伐り倒すくらい
にして、ずっと昔の照葉樹の森に戻してみてはどうだろう。
そうすれば小鳥もまたやって来るようになるであろうし、風景にも変化が出
てくるのではないかと思う。
新幹線の広島駅の北に照葉樹のよく茂った山がある。
この山は戦前までは松が多かったように思う。
今は松はほとんどない。
私はその山の中を4、5年まえに歩いて見たことがあるが、木はそれほど大
きくない。
だから戦後、茂りはじめたものであろう。
実にこんもりとしていて新しい風景を作り出している。
そのうえ照葉樹はコンクリートの四角い建物とも調和する。
都市の周辺などには、造林に対してもこのような配慮があっていいのではな
いかと思う。
実用ばかり考えるのでなく、もっと遊びもあってよいのではなかろうか。
そしてそれが人の多く住んでいる地域にあるやわらぎを与えるとするならば、
市民にとっては一つの財産になってくる。
しかも木は育つものである。
小さい木が大きくなる。
大きくなればなるほど、われわれに与える迫力も大きくなってくるもの
である。