キーワード 読書について40 /「頭はよくならない」小浜逸郎 洋泉社新書 2003年 ②【再掲載 2014.2】 [読書記録 一般]
今回は、7月11日に続いて、
「キーワード 読書について」40回目の紹介です。
と学会の「トンデモ本 1999」と
西本鶏介さんの「児童文学の世界」の(1)です。
前書の出版社の紹介には
「世紀末を笑い飛ばせ。UFO、陰謀、大予言など最新トンデモ本続々登場。」
とあります。
後書の出版社の紹介には
「代表的な児童文学作品200点の案内を中心に、児童文学論、児童文学の歴
史、選び方・与え方、基本用語の解説、そして創作入門まで、児童文学に関
する基本的事項をわかりやすく編集した画期的な入門講座。学生、先生、図
書館員などに必携、必読の本。読んで楽しく、すぐ役にたつ新しい感覚のガ
イドブックです。」
とあります。
いわゆる「トンデモ本」、読み方次第でおもしろく感じます。
わたしは児童文学が大好きですが、このごろこの言葉を聞かなくなりました。
もう一つ、再掲載になりますが、小浜逸郎さんの
「頭はよくならない」②を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード 読書について40
◇「トンデモ本 1999」と学会 光文社 1999年
◇トンデモ本
著者の意図したものは異なる視点から読んで楽しめる本
|
爆笑するしかないはずの本を多くの人が真剣に読みふける
◇トンデモ
フリーメーソン,
電磁波,
風水,
潜在意識,
歴史人物なりビジネス指南書,
波動,
宇宙人
◇「児童文学の世界」西本鶏介 偕成社 1988年 (1)
□児童文学とは何か
なぜ児童文学なのか
子供の理解力・読書能力に訴えることのできる文学
児童文学とは?
○ 大人が子供のために書くもの
○ 文学の本質を大切にするもの
自己表現としての児童文学
文学として独立した一つのジャンル 三木卓
「かつての私だった子供のために書く」ウィリアム・メイン
今なお子供である自分のために書く
|
◎「子供のために書かない」
|
「なぜ子供に向かって書くのか」
西本鶏介
「人間そのものである子供の姿を通して,生きることの意味を,
輝かしい未来への喜びを,誰もが楽しめる方法によって描く」
のが児童文学
= 子供の心を捉える表現力
大人の文学とどう違うのか
作者の思いのままに表現できないところに特色
|
まず子供の心を捉え,さらに大人の心までも捉える作品を書くの
が児童文学本来の目的
ケストナー
「八歳の子供から八十歳の子供のための文学」
□なぜ子供に文学が必要か 西本鶏介
文学とは何か
「人はパンのみに生きるにあらず」
精神的な活動
人間の真実を求め人間であることの本質を知り,物よりも心
を充実させること
= 文学とは人間とは何かを語るもの
民話
庶民の願いを直ちに叶えてくれる理想社会でありつらい現実を生き
抜く心のよりどころ
= 人間と人間との触れ合い
文学の持つ価値とは
奥野健男
◎「無用の用」を書いてくれるのが文学
= 深夜の世界の産物
もし自分が主人公と同じ立場だったらどんな生き方を
するだろうか?
- 文学的体験は健全な倫理や平衡感覚とはほど遠い物で
ある故に文学としての貴重な価値がある
絵本や童話はなぜ必要か
感動する心
子供
本当のこととして実感できる
◎ 長い人生の中で,人間が自由に鳥や花と口をきき,風や雲と
おしゃべりできるのは幼い子供のときだけ
↑
◎ そんな子供たちのみずみずしい感情をいくらでも刺激でき
るからこそ絵本や童話が必要になってくる
|
◎ 絵本や童話による刺激は子供の人格形成に関わるほど大切
なこと
|
絵本や童話の体験は無限
◎ 現実のものではないことがはっきり分かっている子供でも,
もしかして,これは本当のことかも知れないという思いを棄
てきることはできない。
青少年期と文学
大人
~ これまで信じてきた不思議な世界や美しいはずの人生が現実
と違いすぎることに気が付く
→ 真実を求める心が強くなる
→ 現実の醜さを知ると今度は逆に夢のような美しい世界
→ 前にも増して,人間とは何か,人生とは何かをもっと具体的
に求めざるを得なくなる
◎ 人生の真実は大人が教えるものではなく,子供自らの力で
つかみ取っていくもの
~ その力を与えてくれるものが文学ならではの価値
☆「頭はよくならない」小浜逸郎 洋泉社新書 2003年 ②【再掲載 2014.2】
◇頭のいい知識人,バカな知識人
□知識人の役割
(1) 困難な問題のからくりを言葉で解き明かす
(2) 困難克服法を提案できる
□頭のいい知識人
橋爪大三郎(社会学者)
思想を易しく,水準を落とさずに説く
中島義道(哲学者)
宮台真司(社会学者)
道徳主義批判
「宗教とは前提を欠いた偶発性を無害なものとして受け入れる
こと」
□もともと頭の悪い知識人
芹沢俊介(評論家)
「お子さま人権教」
= 「子供一家」VS「大人一家」
柄谷行人
□頭の悪さをさらけ出した知識人
大江健三郎 超「歴史」音痴
「あいまいな日本<在住のと入れるべき>のわたし」
瀬戸内寂聴
通俗道徳家
- 子供非行の原因をすべて教育の責任に…
◇あきらめと痛みから出発する21世紀の教育論(1)
□脳生理学者にすがっても頭は良くならない
カメラの性能と使い方の問題
□勉強は「汝自身を知る」ためにこそ!
□偏差値の持つ「クールダウン」作用
バカ役人・寺脇研 1993年偏差値追放
↑↓
「己の分を知る」目的に偏差値は貢献している
竹内洋(教育社会学)「クールダウン」の作用
教える立場になればすぐ分かるその必要性
□「詰め込み教育の弊害」という物語
教育に関わる人は「知識だけあっても考える力がなければ駄目だ」とか
「勉強だけできても他人の心が理解できなければ駄目だ」といったことをま
じめに議論します。
こういう二者択一的な言い回しは単純なだけに受けがいいですね。
私(小浜)自身は常日頃,「頭の悪い人の議論」だなあと受け流します。
考える力が言葉の駆使によって成り立つものである以上,一定以上の語
彙や知識がなければ考えることができないのは自明のことです。
|
人生全体のバランスシートは案外「公平」なものなのです。戦後の教育
論の世界ではほんとうに「今の教育」が「知育偏重」なのかどうかきちん
と検討された試しはありません。
情緒的に「受験地獄」とか「詰め込み教育の弊害」とか叫んで「子供を
競争で苦しめるのはかわいそう」という大人の空想的な感情を満足させて
きただけ
|
「知育よりも徳育が大切」というレトリックは,だいたい「勉強」や
「学力」や「成績」にかかわる「弱者救済」の手段として悪用されてきた
= 「できない子」のコンプレックスをただ一時的に慰安するという欺
瞞的な作用をもたらしてきた
|
そしてそれはときなは集団的な圧力となって「できる子」に肩身の狭い
思いをさせるような倒錯的な心理さえ生みだしてきた。その結果,「ゆと
りの教育」のていたらく。
「キーワード 読書について」40回目の紹介です。
と学会の「トンデモ本 1999」と
西本鶏介さんの「児童文学の世界」の(1)です。
前書の出版社の紹介には
「世紀末を笑い飛ばせ。UFO、陰謀、大予言など最新トンデモ本続々登場。」
とあります。
後書の出版社の紹介には
「代表的な児童文学作品200点の案内を中心に、児童文学論、児童文学の歴
史、選び方・与え方、基本用語の解説、そして創作入門まで、児童文学に関
する基本的事項をわかりやすく編集した画期的な入門講座。学生、先生、図
書館員などに必携、必読の本。読んで楽しく、すぐ役にたつ新しい感覚のガ
イドブックです。」
とあります。
いわゆる「トンデモ本」、読み方次第でおもしろく感じます。
わたしは児童文学が大好きですが、このごろこの言葉を聞かなくなりました。
もう一つ、再掲載になりますが、小浜逸郎さんの
「頭はよくならない」②を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード 読書について40
◇「トンデモ本 1999」と学会 光文社 1999年
◇トンデモ本
著者の意図したものは異なる視点から読んで楽しめる本
|
爆笑するしかないはずの本を多くの人が真剣に読みふける
◇トンデモ
フリーメーソン,
電磁波,
風水,
潜在意識,
歴史人物なりビジネス指南書,
波動,
宇宙人
◇「児童文学の世界」西本鶏介 偕成社 1988年 (1)
□児童文学とは何か
なぜ児童文学なのか
子供の理解力・読書能力に訴えることのできる文学
児童文学とは?
○ 大人が子供のために書くもの
○ 文学の本質を大切にするもの
自己表現としての児童文学
文学として独立した一つのジャンル 三木卓
「かつての私だった子供のために書く」ウィリアム・メイン
今なお子供である自分のために書く
|
◎「子供のために書かない」
|
「なぜ子供に向かって書くのか」
西本鶏介
「人間そのものである子供の姿を通して,生きることの意味を,
輝かしい未来への喜びを,誰もが楽しめる方法によって描く」
のが児童文学
= 子供の心を捉える表現力
大人の文学とどう違うのか
作者の思いのままに表現できないところに特色
|
まず子供の心を捉え,さらに大人の心までも捉える作品を書くの
が児童文学本来の目的
ケストナー
「八歳の子供から八十歳の子供のための文学」
□なぜ子供に文学が必要か 西本鶏介
文学とは何か
「人はパンのみに生きるにあらず」
精神的な活動
人間の真実を求め人間であることの本質を知り,物よりも心
を充実させること
= 文学とは人間とは何かを語るもの
民話
庶民の願いを直ちに叶えてくれる理想社会でありつらい現実を生き
抜く心のよりどころ
= 人間と人間との触れ合い
文学の持つ価値とは
奥野健男
◎「無用の用」を書いてくれるのが文学
= 深夜の世界の産物
もし自分が主人公と同じ立場だったらどんな生き方を
するだろうか?
- 文学的体験は健全な倫理や平衡感覚とはほど遠い物で
ある故に文学としての貴重な価値がある
絵本や童話はなぜ必要か
感動する心
子供
本当のこととして実感できる
◎ 長い人生の中で,人間が自由に鳥や花と口をきき,風や雲と
おしゃべりできるのは幼い子供のときだけ
↑
◎ そんな子供たちのみずみずしい感情をいくらでも刺激でき
るからこそ絵本や童話が必要になってくる
|
◎ 絵本や童話による刺激は子供の人格形成に関わるほど大切
なこと
|
絵本や童話の体験は無限
◎ 現実のものではないことがはっきり分かっている子供でも,
もしかして,これは本当のことかも知れないという思いを棄
てきることはできない。
青少年期と文学
大人
~ これまで信じてきた不思議な世界や美しいはずの人生が現実
と違いすぎることに気が付く
→ 真実を求める心が強くなる
→ 現実の醜さを知ると今度は逆に夢のような美しい世界
→ 前にも増して,人間とは何か,人生とは何かをもっと具体的
に求めざるを得なくなる
◎ 人生の真実は大人が教えるものではなく,子供自らの力で
つかみ取っていくもの
~ その力を与えてくれるものが文学ならではの価値
☆「頭はよくならない」小浜逸郎 洋泉社新書 2003年 ②【再掲載 2014.2】
◇頭のいい知識人,バカな知識人
□知識人の役割
(1) 困難な問題のからくりを言葉で解き明かす
(2) 困難克服法を提案できる
□頭のいい知識人
橋爪大三郎(社会学者)
思想を易しく,水準を落とさずに説く
中島義道(哲学者)
宮台真司(社会学者)
道徳主義批判
「宗教とは前提を欠いた偶発性を無害なものとして受け入れる
こと」
□もともと頭の悪い知識人
芹沢俊介(評論家)
「お子さま人権教」
= 「子供一家」VS「大人一家」
柄谷行人
□頭の悪さをさらけ出した知識人
大江健三郎 超「歴史」音痴
「あいまいな日本<在住のと入れるべき>のわたし」
瀬戸内寂聴
通俗道徳家
- 子供非行の原因をすべて教育の責任に…
◇あきらめと痛みから出発する21世紀の教育論(1)
□脳生理学者にすがっても頭は良くならない
カメラの性能と使い方の問題
□勉強は「汝自身を知る」ためにこそ!
□偏差値の持つ「クールダウン」作用
バカ役人・寺脇研 1993年偏差値追放
↑↓
「己の分を知る」目的に偏差値は貢献している
竹内洋(教育社会学)「クールダウン」の作用
教える立場になればすぐ分かるその必要性
□「詰め込み教育の弊害」という物語
教育に関わる人は「知識だけあっても考える力がなければ駄目だ」とか
「勉強だけできても他人の心が理解できなければ駄目だ」といったことをま
じめに議論します。
こういう二者択一的な言い回しは単純なだけに受けがいいですね。
私(小浜)自身は常日頃,「頭の悪い人の議論」だなあと受け流します。
考える力が言葉の駆使によって成り立つものである以上,一定以上の語
彙や知識がなければ考えることができないのは自明のことです。
|
人生全体のバランスシートは案外「公平」なものなのです。戦後の教育
論の世界ではほんとうに「今の教育」が「知育偏重」なのかどうかきちん
と検討された試しはありません。
情緒的に「受験地獄」とか「詰め込み教育の弊害」とか叫んで「子供を
競争で苦しめるのはかわいそう」という大人の空想的な感情を満足させて
きただけ
|
「知育よりも徳育が大切」というレトリックは,だいたい「勉強」や
「学力」や「成績」にかかわる「弱者救済」の手段として悪用されてきた
= 「できない子」のコンプレックスをただ一時的に慰安するという欺
瞞的な作用をもたらしてきた
|
そしてそれはときなは集団的な圧力となって「できる子」に肩身の狭い
思いをさせるような倒錯的な心理さえ生みだしてきた。その結果,「ゆと
りの教育」のていたらく。