「徳川家康天下取りへの道-家康と遠江の国衆-」浜松市博物館特別展 H27 ② /「仲田紀夫の算数数学授業術」 仲田紀夫 黎明書房 2006年 ②【再掲載 2014.7】 [読書記録 郷土]
今回は、7月18日に続いて、
H27.11.1(日)~12.6(日)に浜松市博物館で開催された、
徳川家康公顕彰四百年記念事業特別展
「徳川家康天下取りへの道-家康と遠江の国衆-」の紹介2回目です。
特別展の紹介には
「若き家康が今川氏から独立し、三河国を平定したのち、今川領であった遠江
国をいかに攻略し平定していったのか。そこには、遠江の国人たちの抵抗や
恭順があり、家康や家臣たちが苦労して遠江国を平定し、天下取りの足掛か
りとした歴史がありました。
徳川家康公顕彰四百年記念の本年は、家康と、井伊直虎や飯尾連龍など遠江
の国衆の資料を集めた特別展を開催いたします。」
とあります。
本日紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「現在残っている浜松城は、家康の次に城主となった豊臣系堀尾吉晴が大改修
したもの」
・「家康時代の浜松城に石垣や天守はなく、自然の地形を利用した土塁や堀か
らなる土の城であった可能性が高い」
もう一つ、再掲載になりますが、仲田紀夫さんの
「仲田紀夫の算数数学授業術」②を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「徳川家康天下取りへの道-家康と遠江の国衆-」浜松市博物館特別展 H27 ②
◇第一章 家康の遠江侵攻と国衆
永禄11(1568)年12月
家康
今川領の遠江(遠州忩劇で混乱中)に侵攻開始
井伊谷三人衆(近藤康用、鈴木重時、菅沼忠久)の案内
陣座峠 → 奥山 → 井伊谷 → 引馬城
↑↓
時を併せ、信玄が駿河へ侵攻
今川館は占拠され、今川氏真は懸川城に(朝比奈氏)
家康は掛川城を攻めるが難航し講話開城策をとり氏真を小田原へ追
いやった(今川氏滅亡とされる)
↓
浜名湖北部地域等の抵抗勢力を攻め立てた
堀川城
土豪・農民が籠城し抵抗 → 見せしめに頸をはねた
↑
遠江の国衆たちは家康に恭順の意向
◎ 家康は遠江をほぼ平定
◇第二章 家康の遠江平定と国衆(浜松城築城)
永禄12(1589)年
家康
→ 三河と遠江と2か国を領地とした
岡崎城を信康に譲り遠江に本拠
当初は見付、次に武田氏に備えて天竜川以西の引馬に本拠
引馬城を取り込み西側の丘陵に新しい城-浜松城
現在残っているのは家康の次に城主となった豊臣系堀尾吉晴が大改
修したもの
家康時代の浜松城
- 石垣や天守はなく自然の地形を利用した土塁や堀からなる土の城であっ
た可能性が高い
◇第三章 武田氏との争いと国衆(三方ヶ原の戦い)
元亀3(1572)年
10月 信玄
駿河を通過し遠江に侵攻
北遠の天野氏、奥山氏
- 侵攻前から調略を受け武田方に
竜川東岸、見付周辺で徳川軍と衝突
徳川軍は浜松へ逃げ帰る
一言坂で本多忠勝が殿(しんがり)
信玄
天竜川を北上し二俣城を攻め落城
その後領地を蹂躙
信州駒場
12月22日
三方ヶ原で家康を打ち破る
→ 信玄は遠江で越年
正月に野田城を攻め帰路没す
☆「仲田紀夫の算数数学授業術」 仲田紀夫 黎明書房 2006年 ②【再掲載 2014.7】
[出版社の案内]
一方的な「上手な説明授業」は、二流教師と思え。先生、生徒両者の思考交流
の中にこそ「良い授業」がある。60年間にわたり「良い授業」を追求し続ける
著者が、算数・数学を例に、「学校教育」の全てに共通な『授業術』を、痛快
かつ愉快なエピソードを交えて楽しく語る21話。
◇幸運な時期を自信で突き進む
1.教科主義(体系)と体験主義(生活)の調整力
◎革命的転換 = 「生活探検学習」
イギリスの有名な数学者
ジョン・ペリー 1901年
「鮭は一匹の成魚を育てるために百万の稚魚を犠牲にしている」
→ 数学教育改良運動
ボレル(仏) クライン(独) ムーア(米) が共鳴
「ペリー運動」
教科主義から経験主義へ
教科主義(体系) 経験主義(生活)
①流れ 学問の柱 子どもの生活
②重点 鍛錬 子どもの心理(興味・関心)
③目標 数学者系 役立つ
導入 = 相撲の露払い
・人気テレビの話題から ・地域,子どもの最近の情報
・教師の体験談 ・工夫した教具の提示
・手品 ・童話やマンガ
2.児童生徒の「目」や教室の雰囲気の把握
全国行脚
- 飛び入り授業
子どもと教師の一体化
<注意>
・子どもの答えを聞き直さない
・間違った答えでも上手にフォローし恥をかかせない
・良い考えや発想は大いに褒め授業に生かす
・机間巡視やノートから良い考えを探す
・独り言,つぶやきを拾う
・グループ展または周囲の友だちとの相談
公開授業のいろいろ
A 新教育法
①内容
②教具
B 共同研究(グループ)
代表が授業
C 一般参観用
学校の研究紹介
D 模範授業
実習生向けなど
E 研究授業
実習生 ほか
3.「教師は授業で勝負する」の名言
良い授業を求めて教育学科へ学士入学
授業では実践とともに理論武装も必要
◇極力,視野・底辺を広げよ
1.同期会などは「思い出話」より情報交換を!
「師魂」
小中同窓会
(1)初めはご招待した恩師の話
(2)特別の仕事や経験を持っている人の話
(3)整然と順に自己紹介,近況報告
(4)自由な親睦会
2.他分野,他地域の人との交歓も大切
異なる話題が転機となる
3.趣味・特技を持ち長く続けよ
本質が分かる
「一道は多芸に通じる」
H27.11.1(日)~12.6(日)に浜松市博物館で開催された、
徳川家康公顕彰四百年記念事業特別展
「徳川家康天下取りへの道-家康と遠江の国衆-」の紹介2回目です。
特別展の紹介には
「若き家康が今川氏から独立し、三河国を平定したのち、今川領であった遠江
国をいかに攻略し平定していったのか。そこには、遠江の国人たちの抵抗や
恭順があり、家康や家臣たちが苦労して遠江国を平定し、天下取りの足掛か
りとした歴史がありました。
徳川家康公顕彰四百年記念の本年は、家康と、井伊直虎や飯尾連龍など遠江
の国衆の資料を集めた特別展を開催いたします。」
とあります。
本日紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「現在残っている浜松城は、家康の次に城主となった豊臣系堀尾吉晴が大改修
したもの」
・「家康時代の浜松城に石垣や天守はなく、自然の地形を利用した土塁や堀か
らなる土の城であった可能性が高い」
もう一つ、再掲載になりますが、仲田紀夫さんの
「仲田紀夫の算数数学授業術」②を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「徳川家康天下取りへの道-家康と遠江の国衆-」浜松市博物館特別展 H27 ②
◇第一章 家康の遠江侵攻と国衆
永禄11(1568)年12月
家康
今川領の遠江(遠州忩劇で混乱中)に侵攻開始
井伊谷三人衆(近藤康用、鈴木重時、菅沼忠久)の案内
陣座峠 → 奥山 → 井伊谷 → 引馬城
↑↓
時を併せ、信玄が駿河へ侵攻
今川館は占拠され、今川氏真は懸川城に(朝比奈氏)
家康は掛川城を攻めるが難航し講話開城策をとり氏真を小田原へ追
いやった(今川氏滅亡とされる)
↓
浜名湖北部地域等の抵抗勢力を攻め立てた
堀川城
土豪・農民が籠城し抵抗 → 見せしめに頸をはねた
↑
遠江の国衆たちは家康に恭順の意向
◎ 家康は遠江をほぼ平定
◇第二章 家康の遠江平定と国衆(浜松城築城)
永禄12(1589)年
家康
→ 三河と遠江と2か国を領地とした
岡崎城を信康に譲り遠江に本拠
当初は見付、次に武田氏に備えて天竜川以西の引馬に本拠
引馬城を取り込み西側の丘陵に新しい城-浜松城
現在残っているのは家康の次に城主となった豊臣系堀尾吉晴が大改
修したもの
家康時代の浜松城
- 石垣や天守はなく自然の地形を利用した土塁や堀からなる土の城であっ
た可能性が高い
◇第三章 武田氏との争いと国衆(三方ヶ原の戦い)
元亀3(1572)年
10月 信玄
駿河を通過し遠江に侵攻
北遠の天野氏、奥山氏
- 侵攻前から調略を受け武田方に
竜川東岸、見付周辺で徳川軍と衝突
徳川軍は浜松へ逃げ帰る
一言坂で本多忠勝が殿(しんがり)
信玄
天竜川を北上し二俣城を攻め落城
その後領地を蹂躙
信州駒場
12月22日
三方ヶ原で家康を打ち破る
→ 信玄は遠江で越年
正月に野田城を攻め帰路没す
☆「仲田紀夫の算数数学授業術」 仲田紀夫 黎明書房 2006年 ②【再掲載 2014.7】
[出版社の案内]
一方的な「上手な説明授業」は、二流教師と思え。先生、生徒両者の思考交流
の中にこそ「良い授業」がある。60年間にわたり「良い授業」を追求し続ける
著者が、算数・数学を例に、「学校教育」の全てに共通な『授業術』を、痛快
かつ愉快なエピソードを交えて楽しく語る21話。
◇幸運な時期を自信で突き進む
1.教科主義(体系)と体験主義(生活)の調整力
◎革命的転換 = 「生活探検学習」
イギリスの有名な数学者
ジョン・ペリー 1901年
「鮭は一匹の成魚を育てるために百万の稚魚を犠牲にしている」
→ 数学教育改良運動
ボレル(仏) クライン(独) ムーア(米) が共鳴
「ペリー運動」
教科主義から経験主義へ
教科主義(体系) 経験主義(生活)
①流れ 学問の柱 子どもの生活
②重点 鍛錬 子どもの心理(興味・関心)
③目標 数学者系 役立つ
導入 = 相撲の露払い
・人気テレビの話題から ・地域,子どもの最近の情報
・教師の体験談 ・工夫した教具の提示
・手品 ・童話やマンガ
2.児童生徒の「目」や教室の雰囲気の把握
全国行脚
- 飛び入り授業
子どもと教師の一体化
<注意>
・子どもの答えを聞き直さない
・間違った答えでも上手にフォローし恥をかかせない
・良い考えや発想は大いに褒め授業に生かす
・机間巡視やノートから良い考えを探す
・独り言,つぶやきを拾う
・グループ展または周囲の友だちとの相談
公開授業のいろいろ
A 新教育法
①内容
②教具
B 共同研究(グループ)
代表が授業
C 一般参観用
学校の研究紹介
D 模範授業
実習生向けなど
E 研究授業
実習生 ほか
3.「教師は授業で勝負する」の名言
良い授業を求めて教育学科へ学士入学
授業では実践とともに理論武装も必要
◇極力,視野・底辺を広げよ
1.同期会などは「思い出話」より情報交換を!
「師魂」
小中同窓会
(1)初めはご招待した恩師の話
(2)特別の仕事や経験を持っている人の話
(3)整然と順に自己紹介,近況報告
(4)自由な親睦会
2.他分野,他地域の人との交歓も大切
異なる話題が転機となる
3.趣味・特技を持ち長く続けよ
本質が分かる
「一道は多芸に通じる」